柳井正
大事なのは、環境。自分の能力以上を求められる環境でなければ、成長は難しいんです。
日本を代表するファストファッションブランド「ユニクロ」
そのユニクロを、世界的ブランドにした人物こそが柳井正です。
ファストファッションが浸透していなかった時代に、
柳井正は、なぜユニクロを始めたのか?
彼の生い立ちをもとに、その理由を探っていきましょう。
【生い立ちから見る、柳井正の人生】
柳井正は、1949年2月7日に
山口県宇部市中央町で生まれました。
大学卒業後、アパレル業に進んだ柳井正は、
ファストファッションブランド「ユニクロ」を創業。
ヒートテック
エアリズム
ウルトラライトダウンなど、
多くのヒット商品を生み出しました。
日本のファストファッション業界の土台を築き、
日本屈指の経営者となった柳井正。
その保有資産額はなんと438億ドル以上と言われています。(2021年時点)
2020年に発表された「フォーブス」の長者番付では、
世界41位になる資産家となりました。
今では大きな成功を収めている柳井正ですが、
そもそもなぜ、当時浸透していなかった「ファストファッション」を始めようと思ったのでしょうか?
彼の生い立ちを紐解きながら、その理由を考えていきましょう。
人生でいちばん悔いが残るのは、挑戦しなかったことです。
新しい可能性に挑んで、失敗したことではありません。
【生い立ちから紐解く、柳井正がユニクロを始めた理由】
柳井正の生い立ちの中でまず鍵となるのが
「父がアパレル業を経営していたこと」でしょう。
柳井の父である柳井等は、
「小郡商事株式会社」と言う紳士服小売業を営んでいました。
早稲田大学卒業後、なかなか定職につけなかった柳井は、
父の経営する「小郡商事株式会社」に入社することに。
そこから、アパレルの道に進むことになったのです。
もし彼の父がアパレル業を営んでいなければ、ユニクロは誕生していなかったかもしれませんね。
また、ユニクロがなぜ「ファストファッション」の形態を取ったかについては、
当時売り上げを伸ばしていたライバルの存在が大きいでしょう。
それが、「洋服の青山」や「アオキ」です。
柳井正は、すでに成功している他社と競合することは、賢明ではないと判断。
そこで行き着いたのが、
「良いものを作れば、しっかりとした接客をしなくても商品は売れる」
と言う考えでした。
その結果生まれたのが
質の良いものを低価格で提供する、今のユニクロだったのです。
柳井自身の生い立ちと、先の時代を見すえる経営センスがあったからこそ、
世界中で愛されるユニクロが誕生したと言えるでしょう。
【まとめ】
・柳井正はファーストリテイリング代表取締役会長兼社長
・ユニクロ代表取締役会長兼社長、ジーユー取締役会長も務める
・カジュアル衣料「ユニクロ」の創業者
・日本最大の資産家で、保有資産額は2021年1月時点で438億米ドル
日本のファストファッションの土台を作り、世界へと発信し続ける柳井正。
これからの活躍にも、期待していきたいですね。
本当に仕事ができる人は、自分に対する評価が非常に低いのです。
…それは到達する目標が見えていて、届かない距離が分かるからです。
1949年2月7日 山口県宇部市中央町で誕生
1949年 父・柳井等が紳士服小売りの「メンズショップ小郡商事」を立ち上げる
1963年 父・柳井等が小郡商事株式会社を設立する
1964年 山口県立宇部高等学校に入学
1967年 早稲田大学政治経済学部経済学科に入学
4年間、映画やパチンコ、麻雀でぶらぶらして過ごす
1971年3月 早稲田大学政治経済学部経済学科に入学
5月 父の勧めでジャスコに入社
9ヶ月で退職する
帰省して実家の小郡商事に入社
1984年 父の後を継ぎ、小郡商事社長に就任
6月 「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」の1号店を広島市に出店
有名ブランドを安価で販売する形態をとる
評判を落とし苦境に追い込まれ、オリジナル商品開発を始める
1991年 社名を「ファーストリテイリング」に変更
2002年 代表取締役会長兼最高経営責任者 (CEO) に就任
2005年 退いていた社長に復帰する。グループ各社の会長職を兼務する
2009年「日本の富豪40人」で同61億米ドルで日本人首位となる
2020年 推定資産243億米ドル(約2兆5889億円)で『フォーブス』の世界長者番付で世界ランク41位、日本ランク1位