ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
自分一人で石を持ち上げる気がなかったら、二人でも持ち上がらない。
代表作「ファウスト」で知られるドイツの詩人、劇作家
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
小説家、自然科学者、政治家、法律家としてもしても知られる
ゲーテとは、どのような人物だったのでしょうか?
半世紀以上の時間をかけ「ファウスト 」を書き上げるなど、
創作に命をかけたゲーテの人生を、彼の残した名言とともに振り返っていきましょう。
【「ファウスト」で知られる詩人ゲーテとは?】
「ファウスト」の著者として知られる、18世紀後半のドイツを代表する文豪ゲーテ。
文学者、自然学者、政治家といくつも顔を持つゲーテは
1749年8月28日にドイツ中部フランクフルト・アム・マインで
誕生します。
裕福で教育熱心な家庭に生まれたゲーテは、
大学卒業後、弁護士として一時働くも
その後は文学の道を歩み始めます。
語学に長け、少年時代から評判のいい詩を作っていたゲーテは
シュトゥルム・ウント・ドラングの代表的詩人として活動を開始。
若者中心にブームを起こした
小説『若きウェルテルの悩み』の出版により
24歳の若さでヨーロッパで名を知られる作家となりました。
そしてこの頃から、数々の名言で知られる代表作『ファウスト』の執筆を始めます。
『ファウスト』の執筆は亡くなる1年前までに及び、
まさにゲーテの生涯をかけた言っても、過言ない作品なのです。
晩年まで執筆を続け、多くの名作を残したゲーテですが、
彼には詩人・劇作家以外の顔もありました。
それが、弁護士、法律家、自然科学者です。
法律家としては、1782年に宰相へ。
自然科学科としては、人体解剖学、植物学、地質学、光学などの研究や著作の発表など。
文学以外でも数々の功績を残しているのです。
あらゆる分野で非凡なる才能を発揮し続けたゲーテは、
84歳この世を去るまで、数多くの名作を生み出し続けました。
人間の最大の罪は不機嫌である。
【「ファウスト」にも登場する、ゲーテの名言たち】
文豪ゲーテが24歳から81歳までの時間をかけて執筆した
大作『ファウスト』。
学者として成功していたファウストが、
さらなる幸福を求め悪魔と契約した結果、富と快楽を手に入れるお話です。
ファウストが放った
「時よ止まれ、お前は美しい」
この言葉は、本編を知らない人でも一度は耳にしたことがある
名言と言えるでしょう。
最終的に、ファウストはこの言葉を放ったことにより
悲惨な最期を遂げることとなってしまいます。
この名言には、物語のテーマとなる
善と悪、人間の罪と欲望、神と信仰についての
ゲーテの答えが込められています。
詳しくは、ぜひ本編を見て確認してみてくださいね。
『ファウスト』には人類の永遠のテーマや、この時代を語る上で欠かせない宗教観が込められています。
「時よ止まれ、お前は美しい」以外にもさまざまな名言が隠されているので、
ぜひゲーテの込めたメッセージの意味を、紐解いてみて下さいね。
【まとめ】
・ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテはドイツを代表する文豪
・詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家として活躍
・シュトゥルム・ウント・ドラングの代表的詩人
・経験を経てシラーとともにドイツ文学における古典主義時代を築く
多彩な才能に恵まれた、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。
84年もの生涯の中で、あらゆる名作を残したゲーテは、今もなお高く評価され続けているのです。
我々は高みに憧れるが、歩き出すことには無関心だ。
山々を望みながら、平らな道を歩きたがる。
1749年8月28日 ドイツ中部フランクフルト・アム・マインで誕生
1751年 私立の幼稚園に入園。読み書きや算数などの初等教育を受ける
1753年 寄宿制の初等学校に通う
1755年 天然痘にかかり実家に帰る
その後、家庭教師から語学や図画、乗馬、カリグラフィー、演奏、ダンスなどを学ぶ
1756年 詩作が評判であり、祖父母に新年の挨拶の詩を作る
1762年 代表作『ファウスト』の第一部のヒロインの名前になった
近所の料理屋の娘の親戚でグレートヒェンに恋をし失恋する
1765年 ライプツィヒ大学の法学部に入学
1767年 病気により大学を退学する
故郷フランクフルトに戻り、1年半ほど実家で療養する
ヘルンフート派の信者である親戚スザンナ・フォン・クレッテンベルクと
交流をし宗教観を形成する上で大きな影響を与えられる
自然科学研究にも精を出す
1770年 フランス領シュトラースブルク大学に入学する
フリーデリケ・ブリオンという女性と恋に落ち、いくつも詩を作る
彼女との失恋が『ファウスト』に書かれたグレートヒェンの悲劇の原型となる
1771年8月 卒業しフランクフルトへ戻る
弁護士の資格を取り、弁護士事務所を開設する
仕事への興味を失い文学活動に専念する
1772年4月 父により、法学を再修得するために最高裁判所のあったヴェッツラーへと送られる
9月11日 舞踏会で出会ったシャルロッテ・ブッフへの失恋を機にフランクフルトに戻る
再び弁護士となる
1773年7月 『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』を改作、出版しドイツ中で評判となる
1774年9月 書簡体小説『若きウェルテルの悩み』を出版
若者を中心とした熱狂的な読者たちの間で主人公ウェルテル風の服装や話し方が流行する
作品の影響で青年の自殺者が急増、社会現象を起こす
ヨーロッパ中に名を馳せた
『ファウスト』の執筆を始める
1775年11月 カール・アウグスト公からの招請を受け、ヴァイマルに移住
シュタイン夫人と恋に落ちる。関係は12年続く
1780年 フリーメイソンに入会する
1782年 ヴァイマル公国の宰相となる
姓に貴族を表す「フォン」が付き、「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」と呼ばれるようになる
1784年 前顎骨がヒトでも胎児の時にあることを発見する
1786年 無期限の休暇を取り憧れの地イタリアへ旅に出る
1788年 ヴァイマルに戻る
7月 クリスティアーネ・ヴルピウスを内縁の妻とする
1789年 長男アウグストが誕生
1792年7月 従軍、ヴァルミーの戦いに参加
1793年5月 フランスに占領されたマインツの包囲軍に従軍する
1806年 クリスティアーネ・ヴルピウスと入籍する
書き続けていた『ファウスト』第1部が完成する
1809年 自叙伝『詩と真実』の執筆を始める
1816年 妻クリスティアーネが尿毒症により死去
1830年10月 息子アウグスト・フォン・ゲーテが病により死去
1832年3月22日 84歳で死去