一人一人が持っている才能を正しく理解し、
最高のパフォーマンスを発揮する社会を作る

一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

タイガー・ウッズ
プロゴルファー。アメリカ史上最も成功した現役で活躍するスポーツ選手。
出生国:アメリカ
誕生日:1975年12月30日

タイガー・ウッズ

勝利を手にしたからといって上達しているとは限らない。

アメリカ史上、最も成功した現役で活躍する
プロゴルファー、タイガー・ウッズ。

史上2人目のトリプルグランドスラム達成した
タイガー・ウッズの人生を、数々の逸話とともにご紹介します。

 

【数々の逸話を残したタイガー・ウッズとは?】

史上2人目のトリプルグランドスラムを達成し、
数々の逸話を持つタイガー・ウッズとは
一体どのような人物なのでしょうか?

1975年12月30日
アメリカ・カリフォルニア州サイプレスで誕生したタイガー・ウッズは、
わずか9か月の時から父アールの指導の下ゴルフを始めます。

2歳の頃には、南カリフォルニアで有名なゴルファーとなっていたタイガー・ウッズは
アマチュア時代に全米ジュニア・アマチュア選手権、全米アマチュア選手権それぞれで、
3連覇し、前人未踏の偉業を達成しました。

その後、スタンフォード大在学中の1996年にプロに転向します。

タイガー・ウッズは高い技術と精神力で
プロ入り3年で世界ランキング1位へ。
21歳にしてPGAツアーの史上最年少賞金王に輝きました。

その後も、史上2人目のトリプルグランドスラムを達成したタイガー・ウッズは
ゴルフ界の伝説の人となり、数多くの逸話を生みます。

自身のスキャンダルや交通事故により一時は前線を退いたものの、
その1年後にツアー復活を果たし、PGAツアーで見事優勝。

史上初の生涯獲得賞金1億ドル突破する快挙を果たしたのです。

しかし、タイガー・ウッズの不幸はこれだけでは終わりませんでした。
腰の怪我により、2014年のツアーを欠場しなければならないほど、追い込まれてしまったのです。

それでも彼は諦めず、4度にもわたる手術を経て
2018年ツアー選手権で、5年ぶりの復活優勝を遂げました。

高い技術力だけでなく、どのような逆境でも諦めない精神力は高く評価され、
21年には世界ゴルフ殿堂入りを達成。

ゴルフでの活動以外にも、基金の設立、ジュニアの育成、チャリティ活動など、慈善活動にも積極的に参加しています。
アメリカ史上最も成功したスポーツ選手と称されるタイガー・ウッズは
"何度も這い上がり逸話を残していく
ゴルフ界のスーパースターなのです。"

私は困難に微笑む。

【賞金王タイガー・ウッズの逸話2選】

怪我や、活動停止を経験し、
その度に見事復活を遂げたタイガー・ウッズの逸話を2つご紹介します。

(1)父親がレッスン中、タイガー・ウッズが打とうとするたびに
"視界に入ったり、音を立ててプレイを邪魔した。

"

これは、タイガー・ウッズに関する逸話の中でも有名なものです。

タイガーウッズは、生後9か月から父から手ほどきによりゴルフを行なっており、
集中力向上の為に、父があえてとった行動だそうです。

タイガー・ウッズの底知れぬ集中力と精神力はここで育まれた言えるでしょう。

(2)相手がパットを外せば自分の優勝が決まるという場面で、
相手がパターを打った瞬間にタイガー・ウッズは「入れ」と念じた。

2005年に行われた「アメリカンエクスプレス選手権」
最終日のプレーオフでのことでした。

はずしたら自分が優勝する場面でなぜ「入れ」と念じたのか。

タイガー・ウッズは次のように語っています。

「入るな、と思うと、そこからマイナスの戦いが始まる」だそうです。

その理由は、
仮に「入るな」と念じてパットが入った場合、
がっかりした気持ちを引きずって、自分のプレーを行わなければならないため。

「入れ」と念じてパットが入ったとしても、
自分も入れればいいと
落胆することはなく次のプレーもポジティブな気持ちで行えるという事です。

自分はそれ以上にできると思う自己肯定感は、彼の大きな武器ですね。

以上、タイガー・ウッズの逸話を2つご紹介しました。

優れた技術だけでなく、強い精神力が、タイガー・ウッズが天才と呼ばれるゆえんとも言えるでしょう。

 

【まとめ】
・タイガー・ウッズはアメリカ出身のプロゴルファー
・史上2人目のトリプルグランドスラム達成する
・アフリカ系アメリカ人選手として初のメジャー競技で優勝を果たす
・スポーツ選手長者番付1位を12回獲得している

日本でも絶大な知名度を誇るタイガー・ウッズは
ケガや私生活のトラブルを乗り越え、
現在も現役プレイヤーとして活躍してい流のです。

他人の期待に耳を傾けてはいけない。
自分の人生を生き、自分の期待に応えるのだ。

1975年12月30日 アメリカ・カリフォルニア州サイプレスで誕生
         生後9か月からゴルフを始める
1977年  2歳の頃に南カリフォルニアで有名な幼児ゴルファーとなる
1979年  SCJGA(南カリフォルニア・ジュニアゴルフ協会)に加盟する
1988年 全国規模のトーナメントに初出場する
1992年 「ニッサン・オープン」でPGAツアー大会に初出場する
1994年 名門スタンフォード大学に入学
1995年  マスターズ・トーナメントに初出場する
1996年 大学を2年で中退する
   8月27日 プロへ転向
   12月30日 誕生日に“Eldrick Tiger Woods”に正式に改名する
1997年4月13日 史上最年少の21歳3ヶ月でマスターズ初優勝を果たす
   6月   10か月余りでマスターズを含む7大会で優勝し、初の世界ランキング1位となる
        PGAツアーの史上最年少賞金王に輝く
1998年11月 「カシオワールドオープン」で日本ツアー初出場する
1999年8月15日 PGA選手権で初優勝する
2000年 全米オープンから2001年マスターズでメジャー大会4連覇を達成する
    アフリカ系アメリカ人選手として初のメジャー競技で優勝
    第1回「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞などいくつもの賞を受賞
2001年4月8日 マスターズで4年ぶり2度目の優勝
       “タイガー・スラム”と呼ばれる
2002年 マスターズと全米オープンで優勝
2003年 世界ゴルフ選手権「アクセンチュア・マッチプレー選手権」で初優勝
2004年 「アクセンチュア・マッチプレー選手権」2連覇
   10月5日 スウェーデン人の元モデル、エリン・ノルデグレンと結婚する
   11月 「ダンロップフェニックストーナメント」に2年ぶり2度目の出場。日本ツアー初優勝を完全優勝で飾る
2005年 マスターズで4度目、全英オープンで2度目の優勝
    全英オープン優勝をしたことで「ダブル・グランドスラム」を達成
2006年5月3日 父親アールが前立腺癌のため74歳で死去
   6月   プロ転向後初めて全米オープンで予選落ちする
       1997年のマスターズ以来続いていたメジャー大会の連続予選通過記録が「37」で止まる
2007年6月18日 長女が誕生する
   7月 自ら主催者となった公式戦(AT&Tナショナル)を開催
2009年 トリプル・グランドスラム達成する
   2月8日 長男が誕生する
   11月 不倫が発覚。妻から車で逃げる途中に交通事故を起こして負傷する
      無期限のツアー欠場を表明する
2010年 マスターズで復帰する
2012年 PGAツアーのアーノルド・パーマー招待で復活優勝する
   9月 史上初の生涯獲得賞金1億ドル突破する
2013年 プレーヤーズ選手権で優勝。その後腰のけがで離脱する
   7月 全英オープンで復帰する
2015年2月 フェニックス・オープンで自己最悪の「82」を出し、最下位で予選落ちする
2017年 運転マナー違反で逮捕される
    生涯収入は17億ドルを突破
2018年 競技に本格的に復帰する
   9月24日 ツアー選手権で5年ぶりに優勝する
  ワールドゴルフランキングを13位まで戻す
  10月 ZOZO CHAMPIONSHIPでは松山英樹を振り切って米ツアー通算82勝目を挙げる
     歴代1位のサム・スニードとタイに並ぶ

アクシスプロファイル簡易診断で、
あなたのスピリットプロファイルを明らかにしてみましょう。
無料で受講