マザーテレサ
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。
それでも許しなさい。人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはず
マザーテレサは20世紀で最も偉大な人道主義者といわれ、
修道女として貧しい人々の為に生涯を捧げました。
そんなマザーテレサの生き方とは、どの様なものだったのか。
彼女の生き方から学べる教訓をご紹介していきます。
【「コルカタの聖テレサ」マザーテレサの生き方】
マザーテレサは1910年8月26日に、オスマン帝国の裕福な家庭で誕生しました。
マザーテレサの家は、マケドニア地方では珍しいカトリック教徒であり、
信仰心が厚く貧しい人への施しを積極的に行っていました。
そんな両親の元で育ったテレサもまた、信仰心の厚いカトリック教徒となり、
18歳で故郷を離れることを決意し
アイルランドでロレト修道女会へ。
故郷を離れたテレサは生涯、家族に会うことはなかったそうです。
修練女として教育を受け、1937年にシスター・テレサとなり、
聖マリア学院で地理と歴史を教え校長となります。
その後「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」
という啓示を受けたテレサは、特別許可を得て
カルカッタのスラム街で貧しい人々を救済する活動を始めました。
誰からも世話されない人のために働くことを目的とし、
創立した「神の愛の宣教者会」のリーダーとして
「死を待つ人々の家」や児童養護施設を開設していきます。
そんな彼女の生き方は、カトリック教会全体に刺激を与え
いくつもの施設の設立に繋がりました。
1969年に公開されたドキュメンタリー映画『すばらしいことを神様のために』
によりマザーテレサの名と活動は、世界中に知れ渡ります。
世界中から賞賛されたテレサはノーベル平和賞やケネディ賞などの
いくつもの名誉ある賞と数多くの大学の名誉学位を受けました。
晩年も体調が許す限り活動を続け、
1997年9月5日、世界が見守る中87歳で死去。
慈愛に満ちた彼女の生き方は
今でも多くの人の良心を動かしているのです。
この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。
【マザーテレサの生き方から学ぶ教訓】
豊かな心の大切さを教えてくれるマザーテレサの生き方から
私がたちが学べることはたくさんあります。
今回は、ぜひ参考にしていきたい
彼女の考えをご紹介していきます。
<言動を一致させる>
「有言実行」することは
案外むずかしいものです。
マザーテレサは言葉で人々を勇気づけるだけでなく、
献身的に自らの身を捧げ、貧しい人々の為に力を尽くしました。
裕福な家庭出身でありながら、あえて貧しい生活を選び、
ノーベル平和賞で得た多額の賞金さえ、すべて寄付に回したのです。
「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働く」
この言葉に反しない行動をしたからこそ
多くの賛同者が現れたと言えるでしょう。
<ホスピタリティ精神を持ち続ける>
良い人間関係の根本は
愛情を持った行動、感謝の心、思いやりの心です。
マザーテレサは
「どれだけ人に与えたかは重要じゃない
その与えようとしたものに、どれだけの思いや気持ちを込めたかが大切です」
と語っています。
行動だけが重要なのではなく、
どれだけ誠意を持って行動できたか?が重要だと、彼女は伝えたかったのかもしれませんね。
見返りを求めない言動が、結果的には自分も周りも幸せにしてくれる。
そのことを、マザーテレサは自身の生き方で証明してくれています。
【まとめ】
・マザーテレサはカトリック教会の修道女
・修道会「神の愛の宣教者会」を創立した
・ホスピスや児童養護施設も解説する
・自らも貧しい生活をし熱心に活動を続けた
・1979年のノーベル平和賞を受賞
生涯に渡り、貧しい人々のための救済活動をしたマザーテレサ。
彼女の想いは、修道女たちによって受け継がれ、全世界に広められているのです。
私たちは、大きいことはできません。
小さなことを大きな愛をもって行うだけです。
1910年8月26日 オスマン帝国コソボ州・ユスキュプで誕生
8月27日 幼児洗礼を受けたキリスト教徒としての誕生日
1919年 実業家である父が死去
1928年 聖座の許可を得て故郷のスコピエを離れる。アイルランドでロレト修道女会に入る
1929年 カルカッタの聖マリア学院で地理と歴史を教える
1931年 修練女としてインドのダージリンに行く
1937年 終生誓願を宣立。シスター・テレサと呼ばれるようになる
1944年 カルカッタの聖マリア学院の校長に任命される
1948年 教皇ピウス12世からの修道院外居住の特別許可がおりる
カルカッタのスラム街で学校に行けない子供たちを集めて無料授業を行う
1950年10月7日 「神の愛の宣教者会」を創立する
1952年 ホスピス「死を待つ人々の家」を設立
1965年2月1日 修道会の認可を受ける
修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになる
教皇パウロ6世の許可でインド国外での活動が可能になる
1969年 ドキュメンタリー映画『すばらしいことを神様のために』によって
世界中に活動が知られるようになる
1971年 教皇パウロ6世が自らが制定した勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」の最初の受章者となる
ケネディ賞を受賞
1975年 アルベルト・シュバイツアー賞を受賞
1979年 ノーベル平和賞を受賞
1983年 心臓発作を起こす
1985年 アメリカ合衆国大統領自由勲章を受賞
1991年 故郷アルバニアに最初の支部を設立する
1996年 アメリカ合衆国名誉市民となる
1997年 議会名誉黄金勲章を授与される
総長職を辞任する
1997年9月5日 カルカッタのマザー・ハウスにて死去