ビル・クリントン
プレジデント(大統領、学長)であるということは、墓地を経営するようなものだ。
足下には多くの人がいるのに、誰も話を聞いてくれない
第42代アメリカの大統領となったビル・クリントン。
冷戦後のアメリカの建て直しに大きく貢献したビル・クリントンは、
優れた指導者としても知られています。
そんな彼の人生を、数々の名言を交えてご紹介していきましょう。
【意外と知られていない?第42代アメリカ大統領ビルクリントンの名言】
ビル・クリントン大統領の名前を聞いたことはあるけど、
実際に何をしたのか知らない。
そんな方も多いのではないでしょうか?
そこで、クリントン元大統領の功績について、
かんたんにご説明してきましょう。
ビル・クリントンが行ったことで代表的なものとしては、
傾きかけたアメリカの経済を、短期間で立て直したことが挙げられます。
クリントンが就任した1990年代はじめのころ、
アメリカは深刻な経済不況に陥っていました。
大統領就任後、クリントンは経済の立て直しに力を入れ、
その中でも特殊に、ITやハイテク産業の発展に貢献。
のちに「ITバブル」と呼ばれる時代を作りました。
今のアメリカの成長は、
クリントン元大統領の努力の賜物と言っても、
過言ではないかもしれません。
そんなビル・クリントンですが、さまざまな名言を残しています。
「本当に大切なのは、ごく当たり前の人間愛だ。
その事を忘れる時我々は苦しみ、その事を思い出す時繁栄する」
アメリカが不景気にあえぐ最中に大統領に就任した、
ビル・クリントンらしい名言ですね。
本当に大切なのは、ごく当たり前の人間愛だ。
その事を忘れる時我々は苦しみ、その事を思い出す時繁栄する。
【明暗を分けた?ビルクリントンの名言「経済こそが重要なのだ、愚か者」の意味】
ビル・クリントンの語った名言のなかに
「経済こそが重要なのだ、愚か者」というものがあります。
これは、1992年のアメリカ合衆国大統領選挙の最中に使われた言葉です。
クリントンのライバルは、第41代大統領のジョージ・H・W・ブッシュ。
当時、ブッシュ政権は冷戦の終結や湾岸戦争における勝利など、
外交政策で大きな成果をもたらしていました。
大統領としてすでに優秀な結果を出していたため、
ブッシュ政権に勝利するのはむずかしいと考えられていました。
しかし、ビル・クリントンは選挙で見事勝利を収めます。
その勝利のキーワードとなるのが「経済こそが重要なのだ、愚か者」です。
この言葉は、安全保障や外交を重視していたブッシュに対し、
クリントンが言った言葉です。
一方でクリントンは経済の回復を重視する政策を打ち出し、
この名言により、ブッシュ政権よりも、
経済を回復させようとするクリントンのほうが、
よい大統領であるとのイメージを民衆に与えました。
その結果、ビル・クリントンは見事大統領選挙に勝利。
代42代目大統領となったのです。
【まとめ】
アメリカの経済を立て直し、史上最長の好景気をもたらしたとされる
ビル・クリントン。
内政・外交両面で後世に語り継がれる功績をあげ、
アメリカを新世紀へと架橋した彼は、
優れた政治家であったと言えるでしょう。
経済こそが重要なのだ、愚か者
1946年 アメリカアーカンソー州ホープに誕生
1946年 誕生の3ヶ月前に父は交通事故死
1950年 母が自動車販売店を営むロジャー・クリントンと再婚
1953年 一家は同州ホットスプリングスへ移り住む。義父は強度のアルコール中毒で自宅内で暴力を振るう
1956年 異兄弟の誕生で姓をクリントンな改める
1963年 ボーイズ・ステイトで選出されたアーカンソー州上院議員としてボーイズ・ネイションに参加、
ホワイトハウスに招かれてケネディ大統領と握手する機会を得た
1964年 ジョージタウン大学外交学部に入学、在学中フルブライト上院議員のもと外交委員会で働いた
1968年 大学を卒業し、ホワイトハウスの実習生になる
1972年 アメリカ合衆国大統領選挙では、民主党候補のジョージ・マクガヴァンの選挙運動に参加
1973年 法務博士号を取得して卒業
1974年 中間選挙で連邦下院議員選挙に出馬、共和党の現職候補に対して僅差で敗北
1975年 ヒラリー・ローダムと結婚。
1976年 アメリカ合衆国大統領選挙では民主党候補のジミー・カーターの選挙運動に参加
1980年 娘のチェルシーが誕生
1992年 アメリカ合衆国大統領選挙で当選
1993年 第42代アメリカ合衆国大統領に就任
2001年 アメリカ大統領退任