錦織圭
いつでもラッキーが来る!そう思え
プロテニス選手として日本男子史上初のグランドスラム決勝進出を果たした
錦織圭選手。
日本人記録をいくつも塗り替える天才的な錦織圭選手の人物像を
彼が語った名言からみていきます。
また彼の力強いメッセージが込められた名言たちもご紹介します。
【名言から紐解くテニス選手錦織圭の人物像】
日本男子史上初の世界ランキングトップ10入り
を果たしたプロテニスプレイヤーの錦織圭選手の人物像を
彼が語った名言から紐解いていきます。
・負けず嫌いな性格がわかる名言
「タフな相手しかいないツアー・ファイナルといえども負けるのは悔しい。
いい試合をしたところで何も得るものがないというか、どんな相手でも勝たないと悔しさが残る」
「カッコ悪くても、勝つことが一番大事」
普段は穏やかで内気な性格の錦織圭選手は勝負事となると
とたんに負けず嫌いな一面を見せるそうです。
どんなにすごいタイトルを獲得しても
常に上へという気持ちを持ち続けられることも
彼の大きな武器の一つです。
・精神性のとても高い人柄だとわかる名言
「自分の中に何かひとつあれば強くなれる」
「過去のことを振り返ってばかりいたんですが、ふと目の前の目標に集中したら嫌なことは消えていきました」
「いつでもラッキーが来る!そう思え」
中学生の時アメリカのIMGアカデミーに英語も話せないまま
単身で留学したり、
常に日本人初と言われる緊張感の中世界で戦っている
錦織圭選手は常に高いメンタルを持ち合わせているのです。
プロになり何度も怪我から復帰できるのは
自身の気持ちを安定させられるマインドがあるからです。
名言から彼の精神力、テニスへの姿勢が伝わりますね
錦織圭選手はテニスの才能だけでなく常に高い意識で努力のできる才能
をもった世界的プレイヤーなのです。
勝つのもいいけど すっぱり負けるのも悪くないよ。
【日本を代表する錦織圭選手の名言たち】
プロテニス選手になり何度と故障と闘ってきた錦織圭選手の
ポジティブになれる名言たちをご紹介します。
「誰かを越すとか、誰かに抜かれるとかではなく自分ができる最大の努力をする」
「どの分野でもトップにのぼりつめる人は本当に陰でいろんなことをしています」
つい周囲と比べて、喜んだり落胆してしまいがちですが、
自分ができる最大限の努力をし続けることが
何事においても成功の秘訣なのです。
「上を向いてやりたい」
"「少しずつ目標を高いところに置いて、
徐々に上がって行ければ良いんじゃないかと思います」
"
「人間の本当の強さは何度転んでも起き上がれること。
どんな状況になっても、人は必ずそこから立ち上がれることができる」
常に前向きというのは中々できるものではないですよね。
しかし立ち上がれると信じて気持ちを常にポジティブに
自分で高められるようにすることの大切さを
伝えてくれる名言たちです。
「プレッシャーがない人生より退屈なものはない」
努力をした先にプレッシャーさえ味方にすることができれば、
なにも怖いことはなくなりますね。
常に世界で挑戦し、戦い続ける錦織圭選手の名言だからこそ、
私たちにも響く言葉ですね。
"錦織圭選手の不屈の精神力から私たちも学べるものがあります。
"
【まとめ】
・錦織圭は日本のプロテニス選手
・日本男子史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした
・アジア男子史上初のグランドスラム、シングルスファイナリストになった
・リオデジャネイロ五輪男子シングルスで日本人男子として96年ぶりの銅メダルを獲得
世界で活躍する錦織圭選手の強さの秘訣は、
常に前を向ける精神力にあります。
自分の中に何かひとつあれば強くなれる
1989年12月29日 島根県松江市で誕生
1994年 5歳の時初めてテニスラケットを手にし、加茂町中央公園のテニスコートに通いだす
1999年 中国地方代表として全国小学生テニス選手権大会に出場する
2000年 全国小学生テニス選手権大会でベスト8になる
2001年6月 全国選抜ジュニアテニス選手権大会の12歳以下の部で優勝する
「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」に招待される
7月末 全国小学生テニス選手権大会で優勝する
2003年1月 MMTFの候補生のひとりとして、IMGアカデミーに二週間の短期留学をする
8月末 盛田正明テニス・ファンドの第4期特待生に選抜され、同じ選抜生と共に渡米する
9月 テキサス州のジュニア大会でベスト8になる。ダブルスは準優勝する
12月 オレンジボウル選手権14歳以下の部で準優勝する
2004年6月 モロッコのG3ジュニア大会で優勝する
9月 男子ジュニア国別対抗戦の日本代表に選ばれ出場。日本過去最高の5位入賞する
2005年 ジュニアG2の大会で立て続けにベスト4に入る
IMGアカデミーのトップグループに昇格する
2006年10月 メキシコの大会で予選から出場。決勝で世界ランキング300位の選手を破り初優勝する
ATPランキングポイント12を獲得し、ATPチャレンジャーツアーの予選に出場できるようにな
シーズン終了時点で世界ランキング603位。日本人選手としては10位となる
2007年10月1日 17歳9ヶ月でプロ転向を発表
ジャパン・オープンでプロデビューする。1回戦敗退
2008年 デルレイビーチ国際テニス選手権で初優勝する
日本人男子選手のATPツアー制覇は、
1992年4月に韓国オープンを制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙だった
4月28日 世界ランキングで99位となる。日本人選手として2人目の快挙
6月末 北京オリンピック出場を決める
オリンピックはシングルス1回戦で敗退する
2009年 2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞を受賞
5月 右ひじの疲労骨折が判明する
2010年 怪我から復帰し、ATPチャレンジャーツアーで4度優勝する
2011年1月3日 ユニクロと契約する
10月17日 世界ランキングで30位にランクインし日本人男子選手最高を更新する
11月 所属先のソニーと契約終了
2012年 全豪オープンで日本人選手としては80年ぶりのベスト8進出をする
2014年 グランドスラム準優勝、マスターズ1000準優勝、
世界5位、ATPファイナルズベスト4の快挙
2015年 世界ランキング4位となる。アジア人で初めて生涯獲得賞金1,000万ドルを突破する
2016年 リオデジャネイロオリンピックで銅メダルを獲得する
2019年10月 約9年続いたダンテ・ボッティーニとのコーチ関係を解消する
右肘の手術を受ける
最新ランキングでは11位に後退する
2020年8月16日 新型コロナ感染検査の陽性を発表
9月 オーストリア・オープンで約1年ぶりのツアー復帰する
全仏オープンで肩を故障。シーズンを終了する
12月18日 元モデルの山内舞さんとの結婚を発表