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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

盛田昭夫
電気機器メーカーソニー創業者の一人。1992年に名誉大英帝国勲章を受勲。
出生国:日本
誕生日:1921年01月26日
命日:1999年10月03日

盛田昭夫

座っていてボタモチを待っていてはダメなので、
自力を発揮してボタモチを取りに行く欲がないような人間に、用はない

日本が世界に誇る電気機器メーカーのソニー。

井深大と共にソニーを創業したのが
技術者、実業家である盛田昭夫です。

今回は盛田昭夫の人生と
世界のトップビジネスマンと言われる彼の発した
仕事で役立つ名言をご紹介します。

 

"【ソニーの生みの親盛田昭夫の人生】
"

「安かろう悪かろう」
日本の製品がそういわれていた第二次世界大戦後まもない時代。
そんな日本製品のイメージを覆したソニーの
創業者の一人盛田昭夫は
1921年1月26日に愛知県名古屋市白壁で誕生します。

彼の実家は代々続いた造り酒屋で
父・久左衛門は盛田家第14代当主でした。
母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘で,
敷島製パン創業家とは親戚という華々しい家柄の方なのです。

盛田昭夫が大学まで進学した頃、時は第二次世界大戦真っただ中。

海軍として彼も従軍します。

そんな時出会ったのが共にソニーを創業した井深大でした。

戦争が終わると井深大らとソニーの前身、東京通信工業株式会社を設立し
常務取締役となります。

盛田昭夫は会社の営業を主に担当し、
優れたビジネスセンスを発揮します。

初の国産テープレコーダーやウォークマンを
国外へも販売し、ソニーを世界へと飛躍させました。

「日本のソニーが、世界のソニーになれないはずがない」
彼の名言通り世界的な企業となったソニーは
戦後の日本経済立て直しにも大きく貢献しました。

またマネジメント能力にも長けており彼の言葉の数々は
名言として残っています。

彼の名言を聞くとその素晴らしいリーダシップ力、人間性に触れられるのです。

高度経済成長期を支えた盛田昭夫は、
1999年10月3日、肺炎のためこの世を去ります。

この年、彼の功績を称え正三位および勲一等旭日大綬章受勲が
贈られました。

問題が起きた時、部下を叱ったり、他人に責任を転嫁するのは無益です

【仕事に役立つ盛田昭夫の名言たち】

「高くても購入するに値する」製品を作り、
世界に日本の技術力を見せつけたビジネスマン盛田昭夫の
仕事で役に立つ名言をご紹介します。

「ソニーはトランジスタラジオを売り出したのは世界で二番目です
一番目の米国の会社は売れなくてすぐやめた
我が社は、ラジオは一人一台必要だという考え方を売ったのです」

「世界中を相手にして仕事をしてみようではないか」

どういった仕事がしたいのか、なにを目的とするのか
明確にすることは仕事で飛躍することでとても重要なことなのです。

続いて仕事に対しての自身の在り方を語った名言です。

「アイデアの良い人は世の中にたくさんいるが、
良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない」

「勉強というのは死ぬまで辞めちゃいけない」

自身の考えたことを実行に移す勇気が成功する上で
不可欠だと盛田昭夫は言っています。

そしてその考えを成功させるためには常に勉強し
突き詰めていく熱意をもって取り組む必要があるのです。

いくつになっても学ぶ姿勢を忘れてはならないですね。

また盛田昭夫は上に立つものとしてのスタンスも語っています。

「トップが下を信頼しなきゃ、下が上を信頼するはずがない」

「自らが現場監督の上着を着て、
交替勤務制で働く従業員らと共に夕食を食べられることを誇りにしている」

真摯に仕事と向き合う盛田昭夫の姿をみて育った社員たちが
また会社を大きくする力となり、ソニーは大企業に発展したのでしょう。

役職が上がったからこそおごらないことの大切さを
思い出させてくれる名言です。

彼の名言を聞くと私たちも仕事に対するモチベーションが
わいてきますね。

 

【まとめ】
・盛田昭夫は日本の技術者、実業家
・日本が世界に誇る電気機器メーカーのソニーの創業者の一人
・世界トップクラスのビジネスマンとしてその力を営業面で発揮した
・創業したソニーを世界的メーカーにし日本の高度経済成長期を支えた
・1999年、正三位および勲一等旭日大綬章受勲が贈られた

戦後、日本を先進国へと押し上げる一人として活躍した盛田昭夫。
彼のビジネスへの姿勢は現代でも多くの実業家のお手本となっています。

まったく違う知識や考えを持った人と、まず対話できることこそ大事だ

1921年1月26日 愛知県名古屋市白壁で誕生
1933年 愛知県第一師範学校付属小学校を卒業する
1938年 愛知県第一中学校卒業を卒業する
1942年 第八高等学校理科を卒業する
    大阪帝国大学理学部物理学科に入学する
1944年 海軍委託学生となり、横須賀の海軍航空に勤務
   9月 大阪帝国大学理学部物理学科を卒業する
1945年 立ち寄った家族の疎開先、愛知県小鈴谷で終戦を迎える
1946年 井深大らとソニーの前身である東京通信工業株式会社を設立。常務取締役に就任
1950年 日本初のテープレコーダー「G型」を発売する
1951年 三省堂社長の四女・亀井良子と結婚する
1955年 日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売する
1959年 ソニー代表取締役副社長に就任
1960年 アメリカにソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを設立。取締役社長に就任
1971年 ソニー代表取締役社長に就任
1976年 ソニー代表取締役会長に就任
1979年 ウォークマンを発売する
1986年 経団連副会長となる
1987年  日本翻訳出版文化賞を受賞
     ドイツ連邦共和国功労勲章を授与される
1991年  勲一等瑞宝章を授与される
1992年  イギリス王室から名誉大英帝国勲章およびナイト爵の称号を授与される
1993年11月 脳内出血で倒れる。会長の座を退きハワイで静養する
1994年 ソニー ファウンダー・名誉会長に就任
    IEEEファウンダーズメダルを授与される
1998年2月23日 フランス政府からレジオンドヌール勲章コマンドゥールを授与される
1999年10月3日 肺炎の為78歳で死去

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