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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

江副浩正
株式会社リクルートの創業者として知られる実業家。
出生国:日本
誕生日:1936年06月12日
命日:2013年2月8日

江副浩正

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。

株式会社リクルート創業者である、江副浩正。

リクルートを大企業に成長させた
江副浩正とは、どのような人物なのでしょうか?

日本有数の実業家だる江副の人生を、
彼の名言とともにご紹介します。

【名言からわかる江副浩正の成功秘話】

「就職、転職といえばリクルート」と言われるほど、高い知名度を誇るリクルート。
そんなリクルートを創設した、江副浩正の人生観を、彼の名言から紐解いてみましょう。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

江副浩正は、戦後の過酷の時代を経験しています。
多くの苦労を乗り越え、東京大学教育学部に進学した江副でしたが、
その生活は決して順調なものではありませんでした。

在学中も貧困に苦しみ、アルバイトと勉学の両方をこなしていた彼は、
東京大学の学生新聞である『東京大学新聞』の
広告代理店として『大学新聞広告社』を起業します。

この会社がリクルートの前身です。

江副浩正は、当時推薦やコネなどでの就活が一般的だった時代に、
求人を一般に公開し、学生に就職先の選択肢を提示するという
画期的な事業に試みます。

この試みは大成功を収め、
リクルートが大きく成長するきっかけとなったのです。

「2位になることは我々にとっては死」

この名言が表すように、
江副浩正は、会社が常にナンバーワンであることを目標にしていました。

広告、人材、住宅、旅行、車など、いくつもの小会社を作ることで
社内で社員たちを切磋琢磨させていました。

また、社員たちのアイディアも積極的に採用しており、
優れた提案があれば、実際に事業化するなどの試みを行っています。

起業家として天才的な発想力と経営センスを持ち合わせるだけでなく、
1番でありたいという強い向上心とそのための努力が
リクルートを成功へと導いたと言えるでしょう。

2位になることは我々にとっては死

【「リクルート」を生み出した江副浩正の名言たち】

起業の天才であり、人材育成の天才でもある江副浩正。
先ほどご紹介した2つ以外にも、彼は数多くの名言を残しています。

今回は、その中からさらに3つの名言をご紹介しますね。

まずは新入社員に向けて語った名言です。

「ブリッ子よりダサイ人間の方がよく伸びる」

カッコよく取りつくろうより、ダサくても挑戦し続ける。
失敗することを恥ずかしがらない姿勢こそが大切だと、
江副の名言は教えてくれます。

続いて、人材育成で優れた功績を残した江副浩正だからこそ言える名言をご紹介します。

「誰に対しても彼も人なり、我も人なりと、
広い心を持って接するように」

社員は人についていく、という事を江副浩正はよくわかっていたのでしょう。

人としてどうあるべきか考えさせられる言葉ですね。

江副浩正の名言は、仕事のみならず、人生すべてで大切なことを
教えてくれるのです。

【まとめ】
・江副浩正は株式会社リクルートの創業者
・起業の天才と言われた実業家
・東京大学が生んだ最大のベンチャー起業家と言われた
・東京大学在学中に起業する
・財団法人江副育英会を設立

江副浩正はリクルートを創業し、大企業にまで発展させた
天才起業家として、日本のビジネス界に名を残しているのです。

経営の才は、後天的に習得するものである。
それも99%意欲と努力の産物である。

1936年6月12日 愛媛県越智郡波方村で誕生
1960年 在学中にリクルートの前身である株式会社大学広告を創業する
   3月 東京大学教育学部教育心理学科を卒業
   10月 会社組織として株式会社大学広告を設立
1981年 安比高原スキー場を開業
1988年 「リクルート事件」が発覚する
1989年2月 贈賄容疑で逮捕。贈賄罪で起訴される
1992年 ダイエー(現・イオン)を傘下に収める
2001年 オペラの興行団体「株式会社ラ ヴォーチェ」の代表を務める
    新国立劇場東京オペラシティの支援する
2003年 東京地裁にて懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受ける
2009年 手記『リクルート事件・江副浩正の真実』を発表
2013年2月8日 肺炎のため76歳で死去

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