ヴィクトル・ユーゴー
不運は人物を作り、幸運は怪物を作る。
詩人、小説家であり政治家でもあったヴィクトル・ユーゴー。
彼の書いたフランス文学界屈指の名作
『レ・ミゼラブル』は世界中で人気を博しました。
そんなヴィクトル・ユーゴーは数々の名言を残したことでも有名です。
多才な彼の生涯と名言に迫ります。
【レ・ミゼラブルの作者ヴィクトル・ユーゴーの生涯】
数々の名作と名言を残したヴィクトル・ユーゴー。
ユーゴーは1802年2月26日 フランス東部のブザンソンで誕生します。
幼いころから詩作に夢中だったユーゴーは
17歳の時にアカデミー・フランセーズの詩のコンクールで1位を取り
詩人・小説家としての道を切り開きます。
このことがきっかけで結婚を反対されていた
アデール・フシェと結婚もできました。
公私共に順調なユーゴーは1822年に発表した「オードと雑詠集」で、
国王から年金を受給されるという出世をとげます。
この頃にはロマン派の旗手として活躍し始め、
1829年には大ヒット作戯曲「エルナニ」を発表しました。
古典派の常識を大きく覆すこの作品は
ロマン派と古典派の間の暴動が起きるほどの騒ぎになります。
そして地位を確立させたユーゴーは子爵の位を授けられ、
貴族になり政治活動にも力を入れるようになりました。
政治家としてのユーゴーはなどを訴える人道主義者でした。
またナポレオンの強力な反対派であったユーゴーは
弾圧から逃れるためベルギーへ亡命。
この亡命生活は19年にも及び、
代表作『レ・ミゼラブル』は亡命中のベルギーで出版したのです。
『レ・ミゼラブル』は後に舞台、映画化され、
さらに作中の文章が名言として残るほどに、フランス史上屈指の名作と言われています。
1870年ようやく祖国に帰還するとヴィクトル・ユーゴーは英雄として迎えられ
83歳で死去するまで小説家、政治家として活動を続け、
数々の作品と名言を残したのです。
空っぽのポケットほど、人生を冒険的にするものはない。
【人生とは何か?を教えてくれるヴィクトル・ユーゴーの名言たち】
ヴィクトル・ユーゴーが言った名言をみていきましょう。
彼の名言は私たちに人生とは何で、
何が大切かを伝えてくれているものをいくつかご紹介します。
「生きている者とは、闘っている者だ。高く険しい運命の山をよじ登る者のことだ」
「勇気ある者たちは、全財産を失ったとしても、
勇気そのものは決して失わない」
「意見は変えても良いが、原則は変えてはいけない
葉は生え変わっても、根はそのままでなければならない」
勇気を持って意志を貫き新しい文学を作った
ヴィクトル・ユーゴーらしい言葉たちですね。
立ち止まらずに勇気を持って前に進むことこそ人生であり、
そして勇気を失わないことこそが未来に繋がるのです。
続いて『レ・ミゼラブル』からの名言をご紹介します。
作中の中の言葉であり、どのような人生が実りのあるものかを
"教えてくれています。
"
「生の最大の幸福は、愛されているという実感である
もっと正確に言えば、
こんな自分でも愛されているという実感である」
「幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ
食えはするがごちそうにはならない
無駄なもの、無用なもの、余計なもの、多すぎるもの、
何の役にも立たないもの、それがわしは好きだ」
愛のある人生こそ素晴らしいというヴィクトル・ユーゴー。
詩人、小説家ならではの心に響く名言を残していますね。
彼の作品にはほかにも名言が数々書かれています。
【まとめ】
・ヴィクトル・ユーゴーはフランス・ロマン主義の詩人、小説家、政治家
・ロマン派の旗手として活躍
・レ・ミゼラブルの作者として有名
・1959年から1965年まで発行されていた5フラン紙幣の肖像画である
ヴィクトル・ユーゴーは文学に新しい革命をもたらした小説家でありながら、
人道主義者として政治にも携わった偉大な人ですね。
人は強さに欠けているのではない。
意志を欠いているのだ。
1802年2月26日 フランス東部のブザンソンで誕生
母親らとともにヨーロッパを転々とする
1812年 母と次兄ウジェーヌと一緒に再びパリに戻る
1814年 サン・ジェルマン・デ・プレ教会近くの寄宿学校に入学
父ジョゼフ・レオポールがスペイン貴族の地位を剥奪される。フランス軍の一大隊長に没落
1818年 リセ・ルイ=ル=グランに通う
1819年2月 トゥルーズのアカデミー・デ・ジュー・フロローのコンクールで詩が2編入賞する
5月 アカデミー・フランセーズの詩のコンクールで一位を取る
12月 自身の詩の雑誌『コンセルヴァトゥール・リテレール』を創刊する
1821年 母ソフィーが死去
10月12日 幼馴染であるアデールとサン・シュルピス教会で結婚
1822年 出版した『オードと雑詠集』が当時のフランス国王ルイ18世の目に留まり、
年間1000フランの年金をもらえることになる。
ロマン派の旗手として活躍し始める
1823年7月16日 長男レオポールが誕生
10月9日 長男レオポールが死去
1824年8月28日 長女レオポルディーヌ誕生
1825年4月29日 レジオンドヌール勲章を受章
1826年11月2日 次男シャルルが誕生
1828年1月28日 パリで父ジョゼフ・レオポールが死去
10月31日 三男フランソワ=ヴィクトルが誕生
1830年7月28日 次女アデールが誕生
1829年 戯曲『エルナニ』を執筆。コメディ・フランセーズ座で上演し大成功を収める
1832年10月8日 ロワイヤル広場の赤いレンガ造りの豪華な邸宅に引っ越す
1833年2月19日 女優ジュリエット・ドルエが愛人になる
1837年3月5日 次兄ウジェーヌが入院先のシャラントン精神病院で自殺した
7月3日 レジオンドヌール勲章を受章
1840年1月 文芸家協会長となる
1841年1月7日 アカデミー・フランセーズの会員に当選する
1843年 長女レオポルディーヌが結婚した夫と共にセーヌ川で19歳で溺死した
1845年7月5日 愛人との密会が通報され、サン・ビヤール監獄に収容される
数ヶ月の謹慎処分の後、再び世間に出る
1845年4月13日 オルレアン公爵夫人エレーヌの後ろ盾で子爵の位を授ける
11月17日 フランス文学史上屈指の名作『レ・ミゼラブル』の執筆を開始
1848年12月10日 大統領選挙でルイ・ナポレオンを支持し、強力な論陣を張る
ナポレオンは次第に独裁化したため反対派になる
1851年12月11日 ナポレオンの起こしたクーデターにより弾圧され、ベルギーへ亡命する
1852年8月 ナポレオン3世を弾劾した「小ナポレオン」を出版する
フランスからベルギーへの圧力を恐れ、イギリス領チャネル諸島のジャージー島に移住
1862年 『レ・ミゼラブル』が完成。ベルギーで出版し大反響を巻き起こす
1870年 ナポレオン3世は失脚した為、フランスへ帰国する
1871年2月 セーヌ県より立候補して当選する
3月8日 ジュゼッペ・ガリバルディの当選無効に抗議し議員を辞職する
1876年1月 元老院議員に立候補して当選する
1877年 「諸世紀の伝説」の第2部を発表
1885年5月22日 パリで死去