ライト兄弟(弟:オーヴィル・ライト)
常識か非常識かで考えるのではなく、自然か不自然かで感じ、考えることです。
空を飛ぶという人類の夢を
世界で初めて叶えたライト兄弟。
今回は人類初の飛行に成功したライト兄弟の
弟オーヴィル・ライトの苦悩と共に、
兄より先に空を飛ぶことを夢見た
オーヴィル・ライトの人物像についてご紹介します。
【ライト兄弟で知られるオーヴィル・ライトとは?】
世界初の有人動力飛行に成功したライト兄弟の
弟オーヴィル・ライトは
1871年8月19日アメリカ合衆国オハイオ州デイトンで誕生しました。
ライト家の四男で、共に空を飛んだ兄は三男のウィルバーです。
7歳のとき、父からおもちゃのヘリコプターをもらい、
空飛ぶことを兄ウィルバーと共に夢にみます。
2人は子供の時から
印刷機、足踏み式自動紙折りたたみ機、週刊新聞などを制作していました。
共に製作活動をする二人ですが性格は真逆で、
学究肌で何事にも慎重な性格の兄とは反対に、
オーヴィルは機械いじりが好きなアイデアマンで冒険心の塊
だったと言われています。
母の死をきっかけに学校を中退すると
二人で自転車屋をしながら夢である飛行機の開発を続けます。
そして1903年に世界初の有人動力飛行に成功にするのです。
最初に飛行機に乗ったのは冒険心あふれるオーヴィル・ライト。
しかし人類にとって革命的な功績をあげたライト兄弟は
他の技術者からの嫉妬と妨害を受け、
さらに度重なる特許紛争に飲み込まれることになります。
そんな中、兄ウィルバーが45歳という若さで腸チフスにより死去。
兄の亡き後、オーヴィルは苦悩しながらもライト兄弟の名誉を取り戻し、
一度はイギリスに手放したライトフライヤーをアメリカに戻しました。
夢を叶えた喜びと苦悩を味わった
オーヴィル・ライトは76歳でこの世を去ります。
オーヴィルの行動によりライト兄弟の功績は守られたのです。
事ほど左様に、人間界の常識と言われているものに、
囚われることは、可能性を狭めてしまうことです。
【苦悩に満ちたオーヴィルライトの成功劇『ライト兄弟』】
空を飛ぶ夢を叶えたライト兄弟。
ですが待ち受けていたのは苦悩の日々でした。
世間はライト兄弟の成功を信じず、
各大学の教授、その他アメリカの科学者は
「機械が飛ぶことは科学的に不可能」というコメントを発表しました。
後、裁判所にも彼らの成功は認められたのですが、
今度は特許取得の争いに苦悩します。
特に敵意を向けていたのはグレン・カーチスでした。
カーチスとは幾度も特許争いの裁判をした結果、
1914年には特許争いに負けてしまいます。
兄を亡くしたばかりのオーヴィル・ライトが抗議するも受け入れられず、
カーチスが開発したエアロドロームが
人間を乗せた界初の飛行機として
ワシントン国立博物館に展示されます。
スミソニアン協会が1914年の実験を否定し、
ライト兄弟の偉業を認められる1942年まで
28年の年月がかかりました。
そして晩年のオーヴィル・ライトにはもう一つ苦悩することがあったのです。
それは自身が発明した飛行機が戦争の兵器になってしまったことです。
第二次大戦で飛行機が夢の乗物から大量破壊兵器に
変わっていく姿を見て
晩年には飛行機を発明したことを後悔していたといいます。
夢を持ち発明した飛行機が沢山の人を殺める
武器になってしまったことを想うと後悔も生まれるでしょうが、
しかしながらライト兄弟の発明のおかげで
空を飛ぶ喜びを人類が味わえるようになったこと、
それにより文化がどんどん発達していったことも事実です。
【まとめ】
・世界初の動力飛行機の発明者
・世界初の飛行機のパイロット
・発明後、嫉妬や特許争いに苦悩する
・28年かけて名誉、功績が評価される
空を飛ぶ人類の夢を叶えたライト兄弟は、
その功績ゆえに苦労しながらも
弟オーヴィル・ライトの働きにより後世に語り継がれる偉人となったのです。
今の常識が、10年後、100年後の常識であるとは限りません。
1871年8月19日 アメリカ合衆国オハイオ州デイトンでライト家の四男として誕生
1887年 兄ウィルバーと印刷機や足踏み式自動紙折りたたみ機を作成する
1888年 母スーザンが結核により死去
1909年 ライト社を創業
1910年 ライトB型を完成
1903年12月17日 キルデビルヒルズで12馬力のエンジンを搭載した
ライトフライヤー号により有人動力飛行に成功する
1914年 カーチスとの飛行機の特許争い裁判に敗訴する
1915年 ライト社を売却する。現在のロッキード・マーティンとなる
1928年 ライトフライヤー号がイギリス、ロンドンの科学博物館で展示される
1942年 スミソニアン協会がライト兄弟の偉業を認める
ライトフライヤー号をアメリカに戻すことに合意する
1948年1月30日 デイトンで心臓発作のため死去
死後
1999年 LIFE誌の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれる