モハメド・アリ
人間が困難に立ち向かう時、恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ。
私は私を信じる。
WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオンであった
元プロボクサーのモハメド・アリ。
波乱万丈と言われるモハメド・アリの人生を
彼の残した名言から紐解いていきます。
また数多くの彼の名言の中からつらい時に力になる名言を
ご紹介します。
【名言から見るモハメド・アリの波乱万丈な人生】
"名言からモハメド・アリの波乱万丈な人生を辿っていきます。
"
「強くなりたけりゃ、ボクシングをやれ」
当時大切にしていた自転車を盗まれたモハメド・アリは
警官に言われたこの言葉をきっかけにボクシングを始めます。
それは単にどろぼうを打ちのめしたいということだけでなく、
当時の黒人差別のアメリカを変えるという挑戦でもありました。
「I must be 'The Greatest'!」
これは1964年にモハメド・アリが
WBA・WBC統一世界ヘビー級王者ソニー・リストンへの挑戦試合で
絶対不利と言われた中で勝利し、
新チャンピオンになった時に発した名言です。
試合前、彼はビックマウスと言われていましたが、
有言実行し、多くのボクシングファンを熱狂させました。
「いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。
アラーの教えに背くわけにはいかない」
イスラム教徒に改宗し、
奴隷の名前だと本名カシアス・クレイの名前を捨てていたモハメド・アリ。
ベトナム戦争への徴兵を
イスラム教への忠誠という理由から拒否したときの名言です。
当時の世論に反した彼はアメリカで最も嫌われている有名人に仕立てられてます。
さらにこのことでWBA・WBC統一世界ヘビー級王者を
剥奪されてしまうのです。
しかしモハメド・アリは自身の実力で王座を取り戻します。
プロボクサーを引退後、
パーキンソン病を患い闘病生活を送る中でも社会的活動を続けた彼は、
1996年7月19日のアトランタオリンピック開会式で
聖火を点火する大役を果たします。
これは米国社会と黒人の和解を
モハメド・アリの姿を通して発信するという大きな意味を持っていました。
彼はボクサーとしてだけでなく
アメリカ社会を変えた一人としても名を残しました。
あまりにも順調に勝ちすぎているボクサーは、実は弱い。
【つらい時にみてほしいモハメド・アリの名言】
波乱万丈な人生を送ったモハメド・アリの言葉だからこそ響く
つらい時に励みになる名言をご紹介します。
「人間が困難に立ち向かう時、恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ
私は私を信じる」
「肯定の繰り返しが信念につながる
"その信念が深い確信になると、物事が実現し始める」
"
つらい時こそ自分自身を信じることが大切だと教えてくる名言ですね。
「不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ
不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない
不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ
不可能とは、誰かに決めつけられることではない
不可能とは、可能性だ
不可能とは、通過点だ
不可能なんて、ありえない」
不可能だと感じることは達成への通過点だと
モハメド・アリは言っています。
この言葉を聞くと、
つらくてもう無理だと思えるくらい努力を重ねた自分を評価し
もうひと踏ん張りしてみようと思えますね。
「俺はトレーニングが大嫌いだった
でも、自分にこう言い聞かせたんだ
"絶対にあきらめるな。今は耐えろ。そして残りの人生をチャンピオンとして生きろ」
"
チャンピョンに登り詰めたモハメド・アリに言われるからこそ響く名言です。
つらくなった時、今一度自分の人生をどう生きたいか
考えるとその気持ちを脱却する答えが見つかるかもしれません。
つらい時こそモハメド・アリの名言を思い出すと
また前を向いて歩くことができそうですね。
【まとめ】
・モハメド・アリはアメリカ合衆国の元プロボクサー
・1960年ローマオリンピックボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得
・WBA・WBC統一世界ヘビー級王座を獲得した
・通算3度のチャンピオン奪取成功と19回の防衛記録を持つ
・引退後はパーキンソン病を患い闘病生活を送った
・1996年のアトランタオリンピックの開会式で聖火を聖火台に点火をする
モハメド・アリは波乱万丈な人生を歩みながらも
ボクシングでアメリカ社会をも変えた偉大な人物です。
人間として大きくなればなるほど、それをあえて他人に証明する必要は無くなるのです。
1942年1月17日 アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビルで誕生
1959年 全米ゴールデングローブのミドル級で2年連続優勝する
1960年9月 ローマオリンピックボクシング競技に出場。金メダルを獲る
10月29日 プロに転向する。デビュー戦を勝利で飾る
リングネームを現在の本名である、ムスリム名モハメド・アリにする
1964年2月25日 WBA・WBC統一世界ヘビー級王座を獲得する
本名をカシアス・クレイからモハメド・アリへと改名する
8月14日 カクテル・ウェイトレスのソンジ・ロイと結婚
1966年1月10日 ソンジ・ロイと離婚
1967年8月17日 ベリンダ・ボイドと結婚
良心的兵役拒否のため禁固5年と罰金1万ドルを科せられる。WBA世界ヘビー級王座を剥奪される
1969年3月11日 WBC世界ヘビー級王座を剥奪される
1974年10月30日 再びWBAWBC統一世界ヘビー級王座に返り咲く
「キンシャサの奇跡」と言われる
16歳のワンダ・ボルトンと不倫をする。法的には認められないイスラム教の儀式で結婚
1975年 イスラム教スンナ派に改宗する
1976年 来日しプロレスラーのアントニオ猪木と「格闘技世界一決定戦」を行う。引き分けとなる
1977年 ベリンダ・ボイドと離婚
女優・モデルのヴェロニカ・ポルシェと結婚
1981年12月11日 引退。引退後パーキンソン病にかかり闘病生活を送る
1986年 ヴェロニカ・ポルシェと離婚
11月19日 ヨランダ・"ロニー"・ウィリアムズと結婚
1996年7月19日 アトランタオリンピックの開会式で聖火を聖火台に点火をする
2003年 MLBオールスターゲームで始球式を務める
2005年11月9日 最高の勲章である大統領自由勲章を授与される
2009年 アイルランド クレア県エニスの名誉市民に選出される
2012年 ロンドンオリンピックの開会式に参加する
2016年6月3日 敗血症ショックにより74歳で死去