メアリー・ケイ・アッシュ
誰でも高く評価されたいと思っている。
だから誰かを称賛するなら隠しちゃだめよ。
有名コスメブランド「メアリーケイ・コスメティックス」
の創業者メアリー・ケイ・アッシュ。
彼女の人物像・人生に迫ります。
メアリー・ケイ・アッシュを深く知るとなぜ彼女が
「20世紀で最も優れた女性起業家」と言われたのかが
よくわかりますよ。
【メアリー・ケイ・アッシュとはどんな人物?】
「できると思えば飛ぶことだってできる」
アメリカ有名な起業家メアリー・ケイ・アッシュ。
彼女は女性の自立を助け、生活を豊かにすることを目的に
1963年にメアリーケイ・コスメティックスを創業した人です。
彼女は2度の結婚、離婚、死別を乗り越えた
3人の子供を持つシングルマザーでした。
当時、女性の権利が非常に弱い時代に
家事に仕事にと懸命に取り組んできた彼女はそんな社会を変えたいと、
「女性が満足な収入を得て自由になれる、希望と夢の会社」
を45歳の時に起業します。
それが訪問販売の化粧品会社メアリーケイ・コスメティックスです。
徹底した品質へのこだわり、女性が働きやすい環境づくりで
最初の年になんと20万ドルもの売り上げを挙げました。
そんなメアリー・ケイ・アッシュは
1.自分がして欲しいと思うことを他人にもすること
2 .人生で一番大事なものは神であり、その次が家庭、仕事は3番目
3.称賛と励ましがすべての人を成功に導くこと
この3つの信念を貫き、
「全米で女性が最も働きやすい企業トップ10」
「アメリカで最も働きたい企業100」にも選ばれる企業づくりに成功しました。
売上高も2000年には12億ドルに達し、
彼女は見事に自身の夢を叶えたのです。
その他にも癌(主に乳がん)撲滅と女性への暴力追放のための
「メアリー・ケイ・アッシュ基金」を設立するなど慈善事業も行っていました。
彼女は起業家として成功するのみならず、
男女不平等な社会から女性たちを救ったひとりなのです。
航空力学的にはマルハナバチは飛べるはずがないの。
でもマルハナバチはそんなことを知らないから、とりあえず飛び続けているのよ。
【メアリー・ケイ・アッシュの人生】
今のように女性が仕事でキャリアを築くことが出来なかった時代に、
自ら起業し、女性のビジネスモデルを確立させたメアリー・ケイ・アッシュ。
彼女は1918年5月12日、アメリカ合衆国テキサス州で誕生します。
父が結核で療養し代わりに母が働いていた為、
メアリー・ケイ・アッシュは幼いころから
父の世話や家事をする日々を送りました。
17歳の時最初の結婚をするのですが、
夫は第二次世界大戦が始まると戦地へ行ってしまいます。
残された彼女は3人の子供たちを養うため
1人で家事、仕事をこなします。
そんな中働いていた会社で
彼女はトップセールスマンとして
「セールスの女王」と呼ばれる程の業績を作ります。
そして女性が仕事をメインにすると家庭も上手くいかなくなり、
夫が戦地から戻るとすぐに離婚となってしまいました。
自ら女性にとって希望の会社を作ることを決断します。
1963年、5000ドルの資本で2番目の夫と共に
スキンローションを販売する会社を設立します。
最初の店舗を作ろうとした矢先、夫が突然亡くなってしまいます。
悲劇でしたがそれでも一人でダラスに小さなお店を開くことができました。
販売員9人でスタートした小さな会社は大成功し、
5000ドルの元手から売上高何十億ドルを誇る
アメリカで有数の大企業となります。
2001年11月22日、男尊女卑の社会を変えるのに一役買った
メアリー・ケイ・アッシュは亡くなりました。
しかし彼女の意思は現代に引き継がれています。
【まとめ】
・メアリー・ケイ・アッシュはアメリカの化粧品会社メアリー・ケイの創業者
・女性が自由に希望をもって働ける会社をつくった
・アメリカ功労アカデミーのゴールデンプレート賞を受賞する
・「メアリー・ケイ・アッシュ基金」を設立する
一から起業した会社を短期間で業界トップクラスの会社にした
メアリー・ケイ・アッシュは世界中の働く女性達に希望を与えました。
ほとんどの人は自分の音楽を奏でることなく人生を終えるのです。
あえて試みようともせずに。
1918年5月12日 アメリカ合衆国テキサス州ハリス郡のホットウェルズで誕生
1934年 レーガン高校を卒業
1935年 ベン・ロジャースと結婚
1939年 家庭用品を訪問販売するStanly Home Productsで働く
1940年 会社が主催する大会で最も成功した販売員「セールスの女王」という栄誉が授与される
1945年 第二次世界大戦に従軍していた夫の帰国後に離婚
1952年 訪問販売の会社World Gift社に転職する
1962年 World Gift社を退社する
1963年 2番目の夫ジョージ・ハレンベックと化粧品会社を設立する
はずでしたが、ジョージが心臓発作で死去
1か月後、子供が亡き夫の代わりに5,000ドルの投資を受けメアリー・ケイ化粧品を設立
1980年 アメリカ功労アカデミーのゴールデンプレート賞を受賞
1984年 著書「メアリー・ケイ・オン・ピープル・マネジメント」を出版
1987年 メアリー・ケイ化粧品の名誉会長に任命される
1994年 自伝「メアリー・ケイ」「奇跡が起こる」を出版
1996年 ジュニア・アチーブメント米国ビジネス殿堂入り
2001年11月22日 死去