マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
人の真価がわかるのは喜びに包まれている瞬間ではなく、試練や論争に立ち向かうときに示す態度である。
黒人として3人目となるノーベル賞受賞者であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、
1929年ジョージア州アトランタで生まれました。
当時、アメリカの各地では、人種差別主義立法により、
黒人への人種差別が容認されていました。
自らも黒人であったキングも、幼い頃から差別を受けており、
初めて差別を経験したのは、彼がまだ6歳の時だったと言われています。
白人の友達と遊んでいるだけで、その母親から「(黒人とは)遊ばせない」と言われ。
バスの中では、白人から「席を譲れ」と強要されたりなど、
さまざまな差別を経験しました。
聖職者の道を選んだキングは、大学院生の時にマハトマ・ガンディーの思想に大きな影響を受けます。
この出来事が、後の彼の「非暴力」の思想の礎になったと伝えられています。
1955年12月、白人に席を譲るように言われたローザ・パークスが、それを拒否し、逮捕される事件が発生。
キングはこの事件に激しく抗議し、
黒人たちと一丸となり、バスの乗車をボイコットする「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」を計画します。
この運動により、バス利用者の3/4以上が黒人だった路線バス業界は大ダメージを受け、
その結果「法律上で人種差別を認めるのは、違憲である」という判決が下ります。
この勝利がきっかけで、キングは公民権運動の最も有力なリーダーの一人となり、
全米各地で公民権運動をとりしきるようになりました。
疑わずに最初の一段を登りなさい。
階段のすべて見えなくてもいい。
とにかく最初の一歩を踏み出すのです。
アメリカ各地で公民権運動が盛り上がりを見せる中で行われたのが、
あの有名な「I Have a Dream」のスピーチです。
リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念する大集会の中でキングはこの演説を行い、
20万人を超える参加者が集まりました。
この演説は、多くの人に感動を与え、
20世紀を代表する名演説として今も語り継がれています。
そんなキングの悲願が叶ったのは、1964年7月2日のことでした。
法の上での差別に終わりを告げる、公民権法が制定されたのです。
これにより、公的に黒人差別を認める制度はなくなり、
平等なアメリカ社会へと大きく前進しました。
1968年4月4日にキングはメンフィス市内にある、ロレイン・モーテルの306号室前のバルコニー暗殺されてしまいます。
キングの死後、アメリカ合衆国議会の最高位である議会名誉黄金勲章が授与されるなど、
キングはアメリカの人種差別を語る上では、欠かせない人物として人々の記憶に残っています。
私には夢がある。(I Have a Dream)
1929年1月15日 ジョージア州アトランタで生まれる
1944年 モアハウス大学に入学
1947年 牧師の資格をえて、父と同じバプテスト派の牧師となる
1948年 モアハウス大学を卒業
1953年 コレッタ・スコット・キングと結婚式を挙げる
1955年 ボストン大学神学部で博士号を取得
1954年9月 デクスター・アベニュー・バプテスト教会の牧師に就任
1955年 ローザ・パークス逮捕事件が発生
モンゴメリー・バス・ボイコット事件運動を計画
1956年 連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決が下り、勝利が確定する
1957年 南部キリスト教指導者会議 (SCLC)を結成。会長となる
1958年9月20日 キング暗殺未遂
1960年2月1日 キングに影響を受けた学生たちによりグリーンズボロ座り込みが発生
この運動は各地に拡大し、各都市で大きな成果を上げた
1963年8月28日 ワシントン大行進内で「I Have a Dream」のスピーチを行う
1964年7月2日 公民権法が制定。法の上における人種差別が終わりを告げる
1964年 ノーベル平和賞を受賞
1968年4月4日 「 en:I've Been to the Mountaintop(私は山頂に達した)」の演説を行う
同日、ジェームズ・アール・レイによってマーティン・ルーサー・キング・ジュニア暗殺される
1986年 キングの誕生日に近い毎年1月第3月曜日が「キング牧師記念日」と制定される
2004年 議会名誉黄金勲章受章