マドンナ・ルイーズ・チッコーネ
自分を破壊するのも、創造するのも、自分自身
マドンナは、デビュー曲から現在に至るまで『クイーン・オブ・ポップ』と称され、
次々とヒット曲を出し続けました。
マドンナがトップスターであり続けることを可能にしたものは、何なのか。
彼女のデビューから、トップスターになるまで人生から読み解いていきましょう。
【世界的な歌手マドンナ。そのデビュー曲が生み出されるまでの軌跡】
マドンナは1958年8月16日、アメリカで8人兄妹の3番目として生まれました。
母はマドンナが5歳のときに乳がんで亡くなり、父は再婚。
マドンナは継母との関係がうまくいっていなかったようです。
マドンナは幼い兄弟の面倒をみる一方で
ピアノやバレエ、モダンダンスやジャズダンスなどを習っていました。
これが、将来のマドンナのダンス音楽に影響していきます。
1976年、当時の恋人ダン・ギルロイと、ブレックファスト・クラブというポップ・バンドを結成。
ミシガン大学に進学をしたマドンナですが、アーティストとしてデビューし有名になるため、
1978年に単身でニューヨークへ移住。
その時タクシーの運転手に「この街で一番大きな場所へ連れて行って」と伝え、
タイムズスクエアへ到着したマドンナは、そこで「私はこの世界で神よりも有名になる」
と心に誓ったというエピソードが残されています。
そして1982年。
ニューヨークで無名のときに作ったデモテープ『Everybody』をきっかけに、
同年10月にシングル曲『Everybody』でソロデビューを果たします。
『Everybody』はビルボード・ダンス・チャートで3位を獲得。
1983年には、デビューアルバムとなる『バーニング・アップ』を発表し、
全米で500万枚、全世界で1000万枚という異例の成功を収めました。
誰かに認めてもらうことが人生の目的じゃない
【デビューから次々とヒット曲を生み出し続けるマドンナ】
歌手としてデビューを果たしたマドンナは、
それ以来スター歌手としての人生を歩みはじめました。
マドンナが初の初の全米No.1を獲得したのが、1984年のこと。
マイケル・ジャクソンの大ヒットアルバム「スリラー」からヒントをえたマドンナは
歌って踊る「華やかでセクシーなステージ」を取り入れたセカンドアルバム「ライク・ア・ヴァージン」を発表。
全米No.1を獲得したこのアルバムにより、
マドンナは一躍大スターとなったのです。
その後、少女の妊娠を歌った『パパ・ドント・プリーチ』
神を冒涜しているとそのPVが物議をかもした「ライク・ア・プレイヤー」
など、さまざまな曲で全米一位を獲得。
1990年に発表した「ヴォーグ」では、
マドンナが見せたダンスは「ヴォーギング・ダンス」と呼ばれ大流行。
世界中のダンサーがこぞって真似をしました。
下積み時代を経てデビューしたマドンナは、
現在までエンタテイメント・ビジネスの頂点に君臨しつづけているのです。
【まとめ】
デビュー以来、マドンナは
歌だけでなく、ダンス・パフォーマンス・衣装、メイク、ステージセットまで、
つねに話題にのぼりつづけました。
また、社会の常識やモラルに対しても、
彼女らしい独自の考えを発信し続けました。
マドンナは常に新「女性の自立と」いうテーマを曲に反映させ、
周りに左右されず、自分自身の考えで自分の人生を決めることの大切さを訴え続けているのです。
できるのは、せいぜい自分に忠実でいることくらいね。
1958年8月16日 アメリカのミシガン州で誕生
1978年 20歳のときに35ドルを手に単身ニューヨークへ渡る
1982年 「Everybody」でソロデビュー
1984年 「ライク・ア・ヴァージン」が、全米第1位
1985年 映画 「スーザンを探して」で女優デビュー
1985年 ショーン・ペンと結婚
1986年 「パパ・ドント・プリーチ」全米1位
1987年 自身の主演映画『フーズ・ザット・ガール』
1989年 「ライク・ア・プレイヤー」は、全米1位を獲得。ショーン・ペンと離婚
1990年 「ヴォーグ」を発表し、「ヴォーギング・ダンス」が流行る
1991年 私生活を描いた赤裸々なドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』の公開
1992年 ヌード写真集『SEX』の刊行、アルバム『エロティカ』のリリース
1996年 長女ローデス・レオンを出産
2000年 長男ロッコ・リッチーを出産。ガイ・リッチーと結婚
2003年 児童文学『イングリッシュ ローズィズ』シリーズで作家デビュー
2008年 『ワンダーラスト』で映画監督デビュー
2009年4月 イタリア中部で起きた地震の被災者に50万ドルの寄付を行う
2010年1月 「2009年度に最も寄付金を集めたアーティスト」2位にランクイン
2015年 アルバム『レベル・ハート』のリリース
2021年 ヴェルサーチの広告塔に登用される