マイク・タイソン
王者になるためには人生で犠牲が必要で、バーに行ったり、友人と遊んだり、
映画を観ることさえも諦めなければいけなかった。
それが結果につながる。
最終的には、どれほど自分が王者になることを欲しているかだ
人気ゲーム「ストリートファイター」のモデルとしても有名な
史上最強のプロボクサー、マイク・タイソン。
今回はマイク・タイソンの人物像と
彼が語った数多くの名言の中から
夢を挫折しそうな人にオススメしたい名言をご紹介していきます。
【多くの名言を残した伝説のプロボクサーマイク・タイソン】
マイク・タイソンとは
一体どんな人物であり、史上最強と言われる所以とはなんなのでしょうか。
彼はアメリカ合衆国の元プロボクサーであり、
元WBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者です。
ヘビー級の中でマイク・タイソンは小柄な体格でした。
しかしそれをもろともしないパンチの力やスピード、
素早く相手の懐へ入りフックやストレートをヒットさせていくファイター・スタイルで、
自分よりはるかに大きい相手をなぎ倒すような試合をし一世を風靡します。
当時より技術が向上している現代のボクサーでも勝てないだろうと言われる
史上最強のプロボクサーなのです。
そんなマイク・タイソンとボクシングの出会いは
彼が12歳の時に収容されたトライオン少年院でした。
幼少時代のいじめをきっかけに非行に走り
12歳までの間に51回も逮捕されていたのです。
トライオン少年院で更生プログラムの一環として行われていた
ボクシングと出会い、マイク・タイソンの人生は大きく変わります。
才能を開花し18歳でプロデビューすると
史上最年少の20歳5ヶ月でヘビー級王者になり、
プロ20年間で数々の伝説や名言を残す選手となったのです。
2005年に事実上の引退をしたマイク・タイソンは
自身が語った名言、
「ボクサーの王者になれた経験は素晴らしいものだったけれど、
オレは過去の栄光にしがみつくことはしない。」
その通りスタンドアップコメディアンの活動や
大麻農園「タイソン農園」の経営など、
新しいことに挑戦し活躍の場を広げています。
一方で私生活では3度の結婚やドラックの使用、暴行での逮捕など
破天荒な一面もありますが、
現代にも根強いファンを大勢持つカリスマ性と
"実力を兼ね備えた史上最強のボクサーなのです。
"
そんなマイク・タイソンが残した名言とはどんな言葉なのでしょうか。
いくつか紹介していきます。
美しい鳥は必ずしも美しい羽毛だからではない
【〇〇な人にオススメしたい、マイク・タイソンの名言】
多くの名言を残すマイク・タイソンですが、
今回は夢を挫折しそうな人におすすめしたい名言をお伝えします。
「自分のやりたいことを途中でやめないことだ
多くの人は自分の求めることがかなわないと途中でやめる」
「鍛錬を持続しながら臨むことだ
それができなければ、どんなに才能があっても意味がない
俺はドリーマーだ
スター(成功)を手にするために夢を見なければならない
もし星に届かなければ、雲をつかんでやる」
今抱いている夢や目標を諦めそうになっている方、
叶えるために必要なのは継続と鍛錬だと
マイク・タイソンは言っています。
"叶わないかもしれないと頭によぎっても継続することで
"
道が開けるのです。
「何を欲するにしても、
特に何かで世界一になりたいと強く願っているとすれば、失望の瞬間は必ず訪れる
だからそのことに感情的に縛られるな
さもないと魂を破壊されてしまう」
「残念なことだが、目標の達成は必ずしも楽しい作業ではないよ
決断力や意志、執念を持っていない人は些細な挫折で降参してしまう」
そして夢を簡単に達成できることはないという事です。
失望の瞬間が来ることが達成には必要なことなんだと思えれば
もう少し夢を追いかける気力が湧いてきますね。
マイク・タイソンの名言を聞き、
夢に向かってもう一度歩き出す力をもらってください。
【まとめ】
・マイク・タイソンはアメリカ合衆国の元プロボクサー
・史上最年少の20歳5か月で世界ヘビー級王者となる
・元WBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者となる
・現在はスタンドアップコメディアンとして活躍
・大麻農園「タイソン農園」の経営もしている
マイク・タイソンは史上最強のプロボクサーとして
現代にも多くのファンを持っています。
オレがボクサーだった頃は、こうだった、ああだったって話ばかりする、
過去の王者のような人間にはなりたくないんだ。
ボクサーの王者になれた経験は素晴らしいものだったけれど、
オレは過去の栄光にしがみつくことはしない
1966年6月30日 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサント地区で誕生
1973年 住まいを転々としていたが、当時のアメリカ合衆国の中でも
最悪のゲットーと呼ばれていたブルックリン区ブラウンズヴィルに定住
小学校を不登校になる
不良少年グループの使い走りとなった後、強盗や麻薬の売人へと悪行がエスカレートする
1978年 12歳で逮捕歴が51回となる
ニューヨーク州でも最悪の少年が収容されるトライオン少年院に収監される
更生プログラムの一環でボクシングを始める
1979年 少年院を仮退院し、ボクシングの才能を見初められたカス・ダマトの家に住む
初試合を行う
1982年 母親が死去
1985年3月6日 ボクシング選手としてプロデビューする。初戦を白星で飾る
11月 トレーナーのカス・ダマトが死去
1986年11月22日 WBC世界ヘビー級王座を獲得
最年少の世界ヘビー級王者となる
1987年8月 IBF世界ヘビー級タイトルを獲得して3団体統一に成功
主要団体統一王者となる
1988年2月 元ファッションモデルで女優のロビン・ギヴンズと結婚する
後援者のビル・ケイトンとマネジャーのジム・ジェイコブスが死去
新しいチームのドン・キングと正式契約を結ぶ
私生活は急激に乱れリング外でのトラブルの話題が増える
9月5日 運転していた車を木に激突させ失神する
10月7日 離婚する
10月8日 予定されていたフランク・ブルーノとの試合が、8月に起こした喧嘩の怪我により延期
1989年年2月25日 8か月ぶりの試合、フランク・ブルーノ戦で勝利する
1990年12月9日 ケーブルテレビ局Showtimeとの長期大型ペイ・パー・ビュー契約を発表
トレーニング中に肋軟骨を痛めたとして試合をキャンセルする
1991年7月 18歳のディズィリー・ワシントンをホテルの一室でレイプし逮捕
1992年3月26日 懲役6年の有罪判決が出る
1995年3月25日 仮釈放される
8月19日 復帰戦。無名のピーター・マクニーリーに勝利
約4年のブランクでバランスの取れたボクシングが崩れハードパンチに頼るようになる
1996年3月16日 WBC世界ヘビー級王座を再度獲得。世界王者に復帰する
その後、レノックス・ルイスとの対戦を避けたためWBC王座を剥奪される
11月9日 再び王者になっていたが、ホリフィールドに敗れWBA王座から陥落する
1977年4月1日 小児科医で、共和党の政治家マイケル・スティールの妹であるモニカ・ターナーと結婚
6月28日 ホリフィールドのWBA世界ヘビー級王座に挑戦した
ダイレクトリマッチで耳噛み事件を起こす
約1年3ヶ月間のライセンス停止処分を受ける
1998年3月29日 ライセンス停止期間中にプロレス団体WWEのレッスルマニアXIVにレフェリーとして出場
1999年1月16日 フランソワ・ボタ戦で復帰
反則行為を行い混乱を起こす
2月5日 前年の8月に自動車事故に巻き込まれたときに、62歳の運転手を殴り、
もう1人の運転手の股間を蹴り上げたとして、1年の懲役刑を受ける
6月 仮釈放される
2000年10月20日 試合前の尿検査を拒否していたために3ヶ月間の出場停止処分を受ける
その後尿検査から大麻の陽性反応が検出される
2003年2月22日 暴行容疑で再度逮捕される
8月2日 米連邦裁判所に破産を申請する
2005年6月11日 事実上引退する
2006年3月18日 総合格闘技団体「WCFC」でレフェリーを務める
12月29日 麻薬影響下の自動車運転およびコカイン所持で逮捕される
2007年11月19日 禁錮1日と執行猶予3年の判決を受ける
2008年5月16日 ジェームズ・トバック監督によるドキュメンタリー“マイク・タイソン THE MOVIE”が
第61回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映される
2009年6月6日 ラキハ・スパイサーと3度目の結婚をする
2011年6月12日 国際ボクシング殿堂への殿堂入りを果たす
2012年3月31日 WWE殿堂に迎えられる
8月 ラスベガスでスタンダップコメディのワンマンショーデビューする
2013年2月 公演「Mike Tyson: Undisputed Truth」で36都市を回る全米ツアーを行う
11月12日 自叙伝「Undisputed Truth」を出版する
2015年12月 人気映画シリーズの3作品目「イップ・マン 継承」に出演する
2018年1月 カリフォルニア州で大麻農園「タイソン農園」を開く
2020年7月23日 最盛期を過ぎたスポーツ選手の参戦をおコンセプトとした
ボクシングリーグ「レジェンド・オンリー・リーグ」を設立
11月29日 ロイ・ジョーンズ・ジュニアとエキシビジョンマッチで対戦