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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

ホイットニー・ヒューストン
歴史上最も偉大な100人のシンガーに選ばれた歌手・女優。 代表曲は『I Will Always Love You』など。
出生国:アメリカ
誕生日:1963年08月09日
命日:2012年02月11日

ホイットニー・ヒューストン

とにかく、始めることが行動の原動力であり、始めさえすれば、
それだけで行動の半分を達成したことになると思うの

世界中の人々を魅了した歌姫ホイットニー・ヒューストン。

歌手として大成功し、早すぎる死をとげた
彼女の人生に迫ります。

また誰もが一度は耳にしたことがあるであろう
ホイットニー・ヒューストンの代表作を
ご紹介します。

 

【歴史に残る歌手ホイットニー・ヒューストンの人生】

抜群の歌唱力と美貌で世界を魅了した
歌姫ホイットニー・ヒューストンの
音楽の原点はゴスペルシンガーの母でした。

彼女は1963年8月9日ニュージャージー州ニューアークの
音楽一家に誕生します。

母は60年代に活躍したスイート・インスピレーションズの
リード・ボーカルをしていたゴスペルシンガーで、
幼少のころから影響を受けたはホイットニーヒューストンは
教会の聖歌隊でゴスペルを歌い始めます。

高校生まで母に歌を教えてもらっていたホイットニー・ヒューストン。

親元を離れると
歌手になる夢を持ちながらも、
美貌を武器にモデル活動で芸能界へ足を踏み入れました。

その後歌手としてバックボーカルを務め頭角を現した彼女は、
敏腕プロデューサーの目にとまり、
大手アリスタ・レコードと契約することができます。

1985年にデビューアルバム『そよ風の贈りもの』を発売すると、
開放的かつ伸びやかな歌声で爆発的人気となります。

その後もヒット曲を歌い、
1992年には映画『ボディガード』で主演映画デビューを飾りました。

本編のみならず、
サウンドトラックは全世界で4,200万枚を売り上げる
記録的大ヒット。

主題歌、「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は
自身最大のヒット曲になりました。

同年R&B歌手、ボビー・ブラウンと結婚します。

この結婚がホイットニー・ヒューストンの人生を大きく変えることになりました。

夫と共に大麻やコカイン等の常用し、
彼女は薬物に苦しむ人生を送ってきます。

一時は薬物離脱のリハビリを受け、
ボビーと離婚をしたことで薬物を断ち切り、
歌手として復帰を果たしました。

しかし2012年2月11日、
ホテルの浴槽の中に倒れ、死亡した状態で
ホイットニー・ヒューストンは見つかりました。

死因は不慮の溺死であり、遺体からコカインが検出されたそうです。

早すぎる死を迎えたホイットニー・ヒューストン。

彼女の名曲は今も世界中のファンの間で聞かれ続けています。

お金なんて何も解決してくれない。
むしろ悩みを作りだすのがお金なのよ。

【誰もが聞いたことがある、ホイットニー・ヒューストンの代表作】

ホイットニー・ヒューストンはグラミー賞5部門の受賞歴を誇ります。

そんな80年代90年代を代表する世界的女性シンガーの代表作を
ご紹介してきます。

「I Will Always Love You」
誰もが一度は耳にしたことがあるといっても過言でない名曲です。

1992年発売のアルバムThe Bodyguard:Original Soundtrack に
収録されたこの曲は、
主演映画「ボディーガード」の主題歌として歌われ、
全米シングルチャートで14週連続No.1を記録します。

アメリカ歴史上最高の売り上げ枚数を誇った彼女の代表曲となりました。

「I Wanna Dance With Somebody」
ダンスミュージックの名曲としてシングル化された曲です。

1987年にリリースした自身2枚目のアルバム
ホイットニーII〜すてきなSomebodyに収録されています。

このアルバムは日本でもオリコン洋楽アルバムチャートで
1987年6月15日付から通算11週1位を獲得する大ヒットアルバムでした。

「Greatest Love Of All」
1985年デビューアルバム『そよ風の贈りもの』に収録された曲です。

この曲はホイットニー・ヒューストンがとても大切にしていた
彼女の最高傑作だと言われています。

「One Moment in Time」
韓国のソウルで行われた夏季オリンピックの挿入曲です。

口ずさみやすいゆっくりとした曲調で
聞くと勇気がわいてくる応援ソングとなっています。

今、ご紹介した曲は彼女の名曲たちの一部です。

ぜひホイットニー・ヒューストンの素晴らしい歌の数々を聞いてみて下さい。

 

【まとめ】
・世界で最も売れている歌手の1人ホイットニー・ヒューストン
・グラミー賞5部門の受賞歴がある
・累計セールスはアルバムが1億4,000万枚以上、シングルは5,000万枚以上
・薬物に苦しむ人生を送った
・48歳の時、ホテルの浴室で不慮の溺死でこの世を去る

世界の歌姫ホイットニー・ヒューストンは、
抜群の歌唱力と美貌で亡くなった今でも世界を魅了しています。

少なくとも自分の信じるようにした結果であり、
失敗しようと、成功しようと
誰の影も踏んで歩かないと決心した。

1963年8月9日  ニュージャージー州ニューアークで誕生
1967年 ニューアーク暴動が起こり、イースト・オレンジに引っ越す
1974年 所属する二ュージャージーのニュー・ホープ・バプティスト教会の聖歌隊のソリストとして活躍する
    両親が離婚、母シシーが養育権を得た
    高校に通う間、歌手であった母シシーがホイットニーに歌を教える
    モデル活動やチャカ・カーンらのバックボーカルをなどで頭角を現す
1983年 敏腕プロデューサーのクライヴ・デイヴィスの目にとまる。アリスタ・レコードと契約する
1984年 テディ・ペンダーグラスとのデュエット曲がヒットする
1985年 デビューアルバム『そよ風の贈りもの』をリリース。すぐに爆発的人気がでる
    2作目のシングルから7曲連続で全米シングルチャート1位の記録を樹立
1991年 第25回スーパーボウルで試合前に国歌を斉唱。史上最高の国歌斉唱と絶賛される
1992年 ケビン・コスナーと共演した初主演映画『ボディガード』が公開される
    新曲6曲を収録したサウンドトラックは全世界で4,200万枚を売り上げ大ヒットなる
    中でも主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は全米シングルチャートで14週連続No.1を記録する自身最大のヒット曲となる
    R&B歌手、ボビー・ブラウンと結婚
1993年 長女ボビー・クリスティーナ・ブラウンを出産
1998年 再び歌手活動を本格化させる
2000年 ハワイの空港で大麻所持で拘束される
    テレビ番組で大麻やコカイン等の常用を告白する
    夫が暴行などで度々逮捕される
2004年 翌年にかけてリハビリ生活を続ける
2006年10月 ボビー・ブラウンと離婚
2009年8月31日 アルバム『アイ・ルック・トゥ・ユー』を発売。
        1週目で30万枚以上を売り上げビルボード200の初登場1位を獲得。復活を果たす
2011年7月 アルコール・薬物依存からの復帰プログラムを再開する
2012年1月 破産寸前であると報じられる
   2月11日 浴槽の中に倒れ不慮の溺死をする
       入浴中にコカインの影響で心臓発作が起こったとされる
2012年8月 映画『スパークル』が公開。遺作となる

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