ヘンリー・フォード
たいていの成功者は他人が時間を浪費している間に先へ進む。
これは私が長年、この眼で見てきたことである。
現在、私たちが当たり前のように利用している自動車。
一般家庭でも広く使われる身近な存在の自動車ですが、
当時は「庶民の乗り物」ではありませんでした。
限られた一部の富裕層だけが所有できた自動車を、大衆向けのものに進化させた人物。
それこそが、ヘンリー・フォードです。
「フォード・モーター」の創始者として大きな成功を果たし、
アメリカの自動車産業に大きな影響を与えたフォードとは、どのような人物だったのでしょうか?
子供の頃から機械いじりが好きだったフォードが自動車への熱意に目覚めたのは、
1891年にエジソン照明会社の技術者になった頃だと言われています。
当時尊敬した発明家のトーマス・エジソンの励ましもあり、自動車の開発を続けたフォードは、
1899年8月5日に「デトロイト自動車会社」を創業します。
しかし、生産した自動車は予想よりも高価格・低品質のものであり、経営は長くは続きませんでした。
それでもフォードは自動車の開発を続け、
彼が制作した自動車は、多くのレースで華々しい記録を残すなど、
当時からその性能の高さが評価されていました。
「フォード・モーターカンパニー」の前身である会社が設立された後、
自動車の”大衆化”のきっかけである「T型フォード」が開発されます。
ひとりの人間にとっての最大の発見、最大の驚きは、自分にはできないと思っていたことが実はできるのだと知ることである。
T型フォードが発売された1908年ごろ、自動車と言えば「富裕層向け」のものであり、
3,000ドルから4,000ドルもの高値で販売されていました。
しかし、T型フォードはその値段よりも大幅に安い800ドルで売り出され、
その結果、「富裕層の乗り物」だった自動車は、
幅広い層が利用できる大衆的な乗り物へと進化していったのです。
1920年代には、アメリカ人ドライバーなら、一度はT型フォードの乗り方を教わったことがある。
と言われるほどに、T型フォードは浸透していきました。
フォードの功績はそれだけではありません。
彼はアメリカの雇用状況を改善した人物としても知られています。
代表的なものとしては「日給5ドルの賃金」です。
フォードは、熟練の職人を従来の2倍ほどの「日給5ドル」で雇用。
当時のアメリカは不況にあえいでおり、そのような状況の中での賃上げに、
競合他社のみならず、アメリカ中を驚かせました。
フォードは従業員の待遇をよくすることで、熟練の職人の離職率を減らし、
教育や雇用にかかるコストの削減に成功。
労働環境を改善し、組織を強化した彼の手法は、高い評価を得たのです。
このような革新的なアイディアは後の時代にも生かされ、
体系的なコストの削減に大きく貢献しました。
経営・流通・産業に革命的な変化をもたらしたヘンリー・フォードは、
1947年、83歳の時に脳出血により死去。
彼の通夜には、1時間で5000人ほどの弔問客が訪れたと言われています。
考えることは最も過酷な仕事だ。
だからそれをやろうとする人がこんなにも少ないのだ。
1863年7月30日 ミシガン州ディアボーンのグリーンフィールドで誕生
1879年 アメリカ・デトロイトに1人移り住み、『James F. Flower & Bros.』に見習い機械工として就職
1882年 ディアボーンに戻り、実家の家業である農業の仕事に就く
そこでウェスティングハウス製の可搬型蒸気機関の操作技術を習得。
その経験から、後にウェスティングハウスで蒸気機関の修理工として雇用される。
1888年 クララ・アラ・ブライアントと結婚
1891年 エジソン照明会社として就職
1893年 エジソン照明会社のチーフエンジニアに昇進
1896年 自作の四輪自動車『 Ford Quadricycle』の開発に成功。6月4日に試運転を行う。
同年、発明家のトーマス・エジソンとパーティーで出会い、車に対する熱意を語る
1898年 2台目の自動車の開発に成功
1899年8月5日 エジソン照明会社から独立し、デトロイト自動車会社を創業
1901年1月 生産がうまくいかず、デトロイト自動車会社を解散
10月 フォードが設計した自動車がレースで好成績を残す
1901年11月30日 デトロイト自動車会社の出資者達により『ヘンリー・フォード・カンパニ』が創業
1902年10月 フォードが開発した車がレースで優勝したことにより、アレキサンダー・Y・マルコムソンの支援を得て『フォード&マルコムソン』を創業
1903年6月16日 フォード&マルコムソンは『フォード・モーター・カンパニー』に再結成される
1908年10月1日 『T型フォード』が発売開始
1913年 ベルトコンベアを利用したライン生産方式を導入。生産能力が大幅に向上する
1914年 販売台数が25万台を突破
「日給5ドル」を提示し、職人の労働環境の向上を図る
1916年 販売台数が47万2千台を突破
1918年 この頃には、アメリカで利用される自動車の半数がT型フォードとなる
12月 会社の社長職を息子のエドセル・フォードに譲る
1928年 フランクリン協会の『エリオット・クレッソン・メダル』を受賞
1932年 フォード・モーターが全世界の自動車生産の3分の1を占める
1938年 ナチス・ドイツ政府から『大十字ドイツ鷲勲章』を受章
1943年5月 息子エドセルが癌により死去。社長職に復帰する
1945年9月 健康上の理由により、孫のヘンリー・フォード2世に社長職を譲る
1947年4月7日 脳内出血により83歳で死去。遺体はデトロイトの墓地に埋葬される。
1967年 自動車殿堂入りを果たす