一人一人が持っている才能を正しく理解し、
最高のパフォーマンスを発揮する社会を作る

一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

ゴジラ松井(松井秀喜)
アジア人初のワールドシリーズMVPを受賞し、2013年には国民栄誉賞を受賞した元野球選手。 現役引退後はニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザーを務める
出生国:日本
誕生日:1974年06月12日

ゴジラ松井(松井秀喜)

苦しみや辛さこそが生きている証ではないでしょうか。
今、自分がすべきことは何なのかを正確に受け入れ、
それを補う努力をしていくしかないと思っています

日本球界を代表するスター選手であった松井秀喜さん。

ゴジラ松井の愛称で親しまれ、
我々に多くの熱狂と感動を与えてくれました。

彼が凄いプロ野球選手であったことは
みなさんご存じかと思いますが、
今回は松井秀喜さんのその凄さとはどんな事だったのかを
ご紹介します。

 

【「ゴジラ松井」こと松井秀喜。その凄さとは?】

松井秀喜さんは初の日本シリーズMVPとワールドシリーズMVP
を共に受賞した選手で国民栄誉賞を授与されています。

これだけの快挙を成し遂げた松井秀喜さんの凄さは
どこにあったのか。

まずプレイスタイルとしての凄さはやはり
恵まれた体格から繰り出す長距離のバッティングです。

高校時代には「北陸の怪童」「ゴジラ」と
異名が付くほど話題になりました。

巨人軍時代には10年間で332本塁打を打ち、
歴代2位の記録を持っています。

ヤンキースでもそのバッティングで
ワールドシリーズ優勝の立役者となるなどして
スター選手として活躍します。

打った瞬間にホームランだとわかる豪快なバッティングには
ファンだけでなくプロ野球関係者も魅了されました。

彼の凄さはプレイだけではありません。

松井秀喜さんは素晴らしプレイをするスター選手でありながら
人格者でもあり多くの選手や監督から信頼されています。
彼の人柄も彼の人気を牽引した理由なのです。

また道具をとても大切にすることで有名でもあり、
ニューヨーク・ヤンキースのジョー・トーリ監督が
「彼ほど道具に対してリスペクトを持っている選手は見たことがない」
と絶賛したというエピソードもあります。

実力、人格が備わった唯一無二のスーパースターが
松井秀喜さんなのです。

花よりも花を咲かせる土になれ

【松井秀喜の凄さがわかるエピソード3選】

松井秀喜さんの選手としての凄さがわかるエピソードを3つ
ご紹介します。

"1. 伝説の甲子園球児「5打席連続敬遠」"
学生の頃から注目され、その実力を評価されていた
ということが最もわかるエピソードです。

高校3年、夏の選手権の2回戦明徳義塾高校戦で事件は起こります。

当時からプロ選手のようだった彼にどうしたら勝てるのか、
明徳の監督は策略として5打席連続敬遠をします。

これは高野連が急遽記者会見を開き、社会問題にまで発展した出来事です。

賛否両論あったこの件ですが、当の松井秀喜さんは
悔しい思いなどは一切語らなかったのです。

そんな彼に人としての凄さも感じられますね。

この件を境により世間に松井秀喜は凄いバッター
だということが知れ渡ります。

2.MBLデビュー戦でのホームラン

ヤンキースへ移籍し、4月8日の本拠地開幕戦ミネソタ・ツインズ戦で、
前打者が敬遠された後の打席、
メジャー初本塁打となる満塁ホームランを打ちました。

デビュー戦での満塁ホームラン。

松井秀喜さんがホームランバッターとして
メジャーで活躍すると知らしめた一打でした。

3. ニューヨーク・ヤンキースと1日限定のマイナー契約
引退を表明した翌年の2013年7月28日引退セレモニー当日、
ニューヨーク・ヤンキースと1日限定のマイナー契約を結び、
ヤンキースの一員として野球人生を終えました。

選手としてチームに7年貢献した彼に送られた
球団からの粋なプレゼントですね。

メジャーリーガーとしても一流だったという証です。

松井秀喜さんの数あるエピソードの中から3つ抜粋しただけでも
選手としての凄さがわかりますね。

 

【まとめ】
・ゴジラ松井の愛称で日米で活躍したプロ野球選手
・初の日本シリーズMVPとワールドシリーズMVPを共に受賞した選手
・2007年、著書『不動心』を刊行
・2012年シーズン終了後引退
・現在はヤンキースGM特別アドバイザーを務める

松井秀喜さんはけた違いの実力を備えたプロ野球選手で、
引退後も野球界に貢献している。

悔しさは、それに耐えられる人間にしか与えられない

1974年6月12日 石川県能美郡根上町で誕生
1981年 小学1年生の時に3年生以上で構成される軟式野球チーム
    「根上少年野球クラブ」に特別に入団するが退団
1985年 「根上少年野球クラブ」に再入団
1987年 能美市立根上中学校入学、野球に専念する
1990年 野球の才能を評価され、星稜高校入学
    野手に転向し、1年生から4番を務める
1992年 「春の選抜」で大会記録をマーク
    チームは準々決勝敗退
    「夏の選手権」は2回戦で敗退
11月22日 プロ野球ドラフト会議で4球団から1位指名を受け、
     抽選の結果、巨人に入団。契約金は1億2,000万円、年俸は契約720万円 
     背番号は「55」となる
1994年4月 初の月間MVPを受賞
1995年 初のベストナイン賞、最優秀バッテリー賞を受賞
1999年 シーズン自己最高の42本塁打を記録。巨人では1977年の王貞治以来22年ぶりの快挙
2000年 本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVP、
    日本シリーズMVP、ゴールデングラブ賞を受賞
2002年11月1日 FA権を行使、MLBへの挑戦を表明する
   12月19日 ニューヨーク・ヤンキースと総額2,100万ドルの3年契約に合意
2003年3月31日 公式戦開幕試合のトロント・ブルージェイズ戦に5番レフトで先発出場
  7月    MLBオールスターゲームに初出場。日本人では4人目
2005年 シーズン終了後、ヤンキースと4年総額5,200万ドルで契約延長
2006年4月18日 500試合連続出場を達成する
   8月 左手首骨折。故障者リストに入る
2007年2月 著書『不動心』を刊行、30万部を超えるベストセラーになる
   5月6日 日本人メジャーリーガー2人目となる
       NPB・MLB通算2000本安打を本拠地でのマリナーズ戦で達成する
   8月5日 メジャー通算100本塁打をヤンキースタジアムでのカンザスシティ・ロイヤルズ戦で達成する
2008年3月26日 富山県出身の25歳日本人女性とニューヨーク市内で挙式
2009年 チームが9年ぶりの世界一
日本人選手初、フルタイムの指名打者としても初のワールドシリーズMVPに選出
初の日本シリーズMVPとワールドシリーズMVPを共に受賞した選手となる
   11月9日 FAとなる。
   12月16日 ロサンゼルス・エンゼルスと年俸600万ドルで1年契約を結ぶ
        エンゼルス初の日本人野手となった
2010年12月14日 オークランド・アスレチックスと年俸425万ドルで1年契約を結ぶ
2011年10月31日 フリーエージェントとなる
2012年4月30日 タンパベイ・レイズとマイナー契約を結ぶ
   7月2日  4番スタメンとして出場した現役最後の試合
   7月24日 マドン監督から戦力外を通告される
   8月1日  本人の希望により自由契約
   12月27日 緊急の記者会見を開き2012年限りで引退表明する
2013年3月 長男が誕生
   5月5日 東京ドームで引退セレモニーが行われる、国民栄誉賞が授与される
   7月 ヤンキース傘下のショートA級スタテンアイランドで打撃投手を務める
   7月28日ニューヨーク・ヤンキースと1日限定のマイナー契約を結び、ヤンキー・スタジアムで引退セレモニーを行う
2015年 ヤンキースGM特別アドバイザーとなる
2017年1月 次男が誕生

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