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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

コナン・ドイル
『シャーロックホームズ』の生みの親。現代のミステリ作品の基礎を築いた。
出生国:イギリス
誕生日:1859年5月22日
命日:1930年7月7日

コナン・ドイル

凡人は自分より優れた者の存在を知らない、しかし才能のある者は天才をすぐに見分ける

不朽の名作である『シャーロックホームズ』シリーズ。
その生みの親こそが、コナン・ドイルです。

コナン・ドイルは、医者でありながら小説家としても成功した
異色の経歴を持つ人物でもありました。

彼はどのような人生をたどったのか?
コナン・ドイルが残した数々の名言から、その謎を見ていきましょう。

【名言から見るコナンドイルの生涯】

コナン・ドイルは、1859年5月22日
スコットランドエディンバラに生まれます。

イエズス会系の学校を出た後、エジンバラ大学に進学。
医学部の学位を習得したコナン・ドイルは、医者とした診療所を開業します。

開業したとはいえ、ずっと仕事に追われているわけでものなく、
コナン・ドイルは暇を持て余すように。
そこから始まったのが、小説の執筆活動でした。

暇つぶしから始まった執筆が、彼の人生を大きく変えてしまったのです。

1884年にはシャーロックホームズの第一作である『緋色の研究』を発表。
結果として、『シャーロックホームズシリーズ』は大ヒットとなり、
コナン・ドイルは本格的に小説家としての道を歩むようになりました。

人々は自分たちが理解しないことを軽蔑する

【ホームズでも有名なコナン・ドイルの名言たち】

コナン・ドイルの代表作ともいえる『シャーロックホームズ』

そのシリーズの中では、数々の名言が誕生しています。
今回は2つピックアップしてご紹介しましょう。

「失敗するのは人の常だが、失敗を悟りて挽回できる者が偉大なのだ」

何事にも失敗はつきものです。
大切なのは、失敗した後にどう行動するか?
コナン・ドイルはその大切さを理解していました。
この名言は、そんなコナン・ドイルだからこそ残せた
私たちへのメッセージなのかもしれませんね。

「人々は自分たちが理解しないことを軽蔑する」

この名言もまた、
私たち人間の本質をついている言葉と言えるでしょう。

理解できないものを遠ざけるのではなく、
理解しようと歩み寄る。
その大切さを教えてくれる名言と言えますね。

【まとめ】
・コナン・ドイルは医者と小説家という異色の経歴を持っていた
・シャーロックホームズシリーズの第1作目が発表されたのは1884年
・ホームズシリーズ内では、多くの名言が残されている

コナン・ドイルの暇つぶしからはじまった活動が、
今もなお根強い人気を誇るシャーロックホームズシリーズを生み出したのです。

全ての不可能を消去して、最後に残ったものが、如何に奇妙なことであっても、それが真実となる

1859年5月22日 スコットランド・エディンバラに測量士補チャールズドイルの息子として誕生した。
1868年 イングランドランカシャーにあるイエズス会系の寄宿学校ホダー学院に入学
1870年 上級学校であるストーニーハースト・カレッジに進学
1875年 勉学のためオーストラリアに一年留学
1876年 エジンバラ大学医学部に入学
1881年 学位を得て卒業
1881年 アメリカ汽船会社に船医として就職
1882年 会社を退職→大学の同級生に誘われて、診察所の共同経営者になる
1882年6月 個人診察所開業
1884年 小説緋色の研究を発表(シャーロックホームズシリーズ第一作)
1885年 ルイーズ・ホーキンズと結婚
1889年 歴史小説 マイヵ・クラークを出版
1890年 四つの署名を発表(シャーロックホームズ第二弾)
1891年 ストランドマガジンで読み切りのホームズ短編小説の連載を始める
1893年 最後の事件でホームズを死亡させる
1900年 医師の一人としてボーア戦争に赴く
1912年 チャレンジャー教授シリーズを発表しSF小説に挑戦
1907年 妻を病で亡くし、別の人と再婚
1901年 バスカル家の犬を発表(シャーロックホームズ長編小説)
1930年 心臓発作を度々起こし、病死

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