オノ・ヨーコ
私たちの人生のすべての瞬間は、ただやり過ごすのではなく楽しむべきミラクルなのです。
世界的ロックバンド「ビートルズ」のメンバー
ジョン・レノンの妻として世界に名を知られるオノ・ヨーコ。
彼女はアーティスト、歌手、活動家とマルチに活躍しています。
そんなオノ・ヨーコの人生と名言をご紹介します。
時代の先駆者として活動した彼女の名言は
時代の先駆者として活動した彼女の名言はどんな言葉なのでしょうか。
【さまざまな顔を持つオノ・ヨーコの人生と名言】
「ある人は18歳でとても年老いている
ある人は90歳でとても若々しい
時間とは人間が作り出した概念にすぎない」
自身で語った名言通り、様々な顔を持ち常に輝き続けているオノ・ヨーコ。
そんな彼女の人生と名言に迫ります。
オノ・ヨーコはエリート銀行員の父と旧安田財閥の母を持つ
良家で生まれ育ちます。
20歳のときに父親の赴任先であるニューヨークに移住したことが
後のヨーコの人生に大きな影響を与えました。
留学中のピアニスト一柳慧と出会い結婚。
在学中の大学を辞め、
人脈と社交性の高さでアートシーンの中心ニューヨークで
前衛芸術活動を始めるようになります。
その後日本に帰国したヨーコを待っていたのは世間からの
批判的な目でした。
『カット・ピース』などの前衛的な芸術は当時の日本では受け入れられず、
人々の批判は、
自殺を図り精神病院に入院になるほどヨーコを苦しめます。
そんな彼女を回復させ、ニューヨークに連れ出し活動再開を助けたのが
2番目の夫である米国の映像作家アンソニー・コックスでした。
その後、恋多きヨーコは活動拠点に移動したロンドンで
ビートルズのジョン・レノンと出会い3回目の結婚します。
ジョン・レノンと結婚したことにより
オノ・ヨーコの名は一躍世界的に知れ渡りました。
それと同時にビートルズを解散させたとして
世界中から非難を浴びせられます。
しかし世間からの批判に臆することなく
音楽活動と反戦や女性解放運動などの政治運動に力を入れます。
1980年ジョン・レノンが自宅のアパートの前で
射殺される事件が起きるまで
公私ともに支え合うパートナーとして過ごしました。
その後あまり表舞台に立つことが減ったヨーコですが、
最近では2009年に休止していた音楽活動を再開します。
「普通でいようと思ってる。普通の女性
でも、普通の女性ってどんなだっけ
私は女性で、ヨーコ。それはいつもかわらない」
そう名言を発した彼女は
型にはまらない時代の先駆者として世の中に大きな影響を与えています。
悲しみと怒りを経験するとあなたは創造的な気分になれる。
そして創造的であれば、痛みやネガティブさの先へ行けるのです。
【オノ・ヨーコが残した7つの名言】
50年以上も活動を続けているアーティスト、オノ・ヨーコ。
彼女が発した人生が楽しくなる名言を7つご紹介します。
愛に生きる彼女の愛することの臆することなく愛を語った名言たちです。
「平和はあなたの愛から始まる」
「一人で見る夢は夢でしかない。しかし、誰かと見る夢は現実」
愛を伝えるという事は、簡単なようで難しいですよね。
彼女の堂々としたこの名言たちを聞くと愛を語ることは
かっこいいことだと気付かせてくれます。
続いては歳をとることが楽しみになる彼女の名言たちです。
「80歳になるのは恐ろしいことではないのです。
あなたが80歳になったとき、あなたの人生はもっと自由になっています」
「この世界は今の人生がいつも最高なのよ」
人生は年を重ねる程楽しい。
彼女が身をもって証明しています。
私たちも年齢に縛られることなく人生を楽しみたいですね。
最後に常に自分らしく生きている彼女の名言たちをご紹介します。
「本当の基準は自分が美しいと思った全ては美しいということ」
「男女平等? なぜ優れている私たち女が男たちのところまで下がってきて、
平等にならなくちゃいけないの?」
「私のキャリア?私は決してキャリアとは思わない。
芸術、音楽、そして私が作っている全てのものは、まさに私の一部だ」
常に自分らしく生きるオノ・ヨーコの強さを感じます。
周りと違っても自分を貫く覚悟をもらえる名言たちですね。
オノ・ヨーコの名言は私たちに力強く人生を生きる勇気を与えてくれます。
【まとめ】
・オノ・ヨーコは日本の芸術家、音楽家、平和運動活動家
・世界的ロックバンド「ビートルズ」のジョン・レノンの妻として有名
・日本の前衛芸術の先駆者
・2009年にプラスティック・オノ・バンドを結成し音楽活動を再開する
型にはまらず芸術と愛に生きるオノ・ヨーコは
時代の先駆者として常に輝きつづけています。
言いたいことを言えなかった、そのたびに私たちは死んでゆく。
1933年2月18日 東京で誕生
1935年 父の暮らすサンフランシスコに転居する
1937年 母と日本に帰国する
1952年 学習院大学の哲学科に入学する
1953年 家族と父の赴任先ニューヨーク郊外のスカーズデールに移住する
サラ・ローレンス大学に入学する。音楽と詩を学ぶ
1956年 在学中に出会った 一柳慧と結婚
大学を退学し、前衛芸術活動を開始する
1959年 ニューヨークを活動拠点にフルクサスのジョージ・マチューナスらと活動する
カーネギー・ホールで パフォーマンスを行う
1962年 日本に帰国する
日本では前衛芸術が受け入れられず評論家にも批判される
自殺未遂を図り精神病院にする
ニューヨークから来日したアンソニー・コックスがヨーコを退院させる
1963年6月6日 アンソニー・コックスと結婚
8月8日 娘キョーコが誕生する
1964年 ニューヨークに戻る。活動を再開する
1966年 活動拠点をロンドンに移す
ジョン・レノンと関係を持つ
1968年 ジョン・レノンとアルバム『トゥー・ヴァージンズ』や『ドングリ・イヴェント』を発表
1969年2月2日 アンソニー・コックスと離婚。争いの末、娘の親権を放棄する
3月20日 ジブラルタルで結婚する。名がヨーコ・オノ・レノンとなる
1969年12月 プラスティック・オノ・バンドのファースト・アルバム『平和の祈りをこめて』を発表する
1970年12月 ファースト・アルバム『ヨーコの心』を発表する
1971年9月 ニューヨークに移住する
1971年10月 エバーソン美術館で個展『ジス・イズ・ノット・ヒアー』を開く
政治治運動に趣を置く
1973年10月 レノンがロサンゼルスに移住し別居する
1975年1月 再びレノンと生活をする
1975年10月9日 レノンの35歳の誕生日にショーン・タロー・オノ・レノンが誕生
育児と家事を担当するレノンが音楽活動を休止
1980年 レノンが音楽活動を再開する
12月8日 自宅の前でマーク・チャップマンによってレノンが射殺され死去
2009年9月 プラスティック・オノ・バンドを結成し、音楽活動を再開する