イワン・パブロフ
科学は人間の全生涯を要求するものである。
もし人生が二度あったとしても、科学の究明にはまだ足りない。
よって、科学には最大限の情熱と努力で接しよ。
「パブロフの犬」という言葉、
みなさんも1度は耳にしたことがありまよすね。
この実験はロシアの生態学者イワン・パブロフが行いました。
今回はそのイワン・パブロフの人物像と生涯をご紹介します。
また「パブロフの犬」はどんな実験であったのかもお伝えします。
【パブロフの犬で知られるイワン・パブロフとは?】
広く有名な「パブロフの犬」実験。
この実験を行ったのが軍医大学校の生理学教授、イワン・パブロフです。
彼は元々、器用な両利きで手術の上手い外科医でした。
優秀な彼は軍医大学校の薬理学教授、生理学教授に就任し、
研究者として名を馳せます。
1904年にロシア人初のノーベル生理学・医学賞を
「消化生理に関する研究」で受賞する功績を上げます。
しかし彼の興味は条件反射実験にあり
受賞後のスピーチでもこの事をメインに演説したそうです。
イワン・パブロフが熱を注いだ条件反射と無条件反射の実験「パブロフの犬」は
犬にベルを鳴らしてえさを与え、
ベルを鳴らしただけで犬が唾液を分泌するようになるという
生理現象を解明した実験です。
この実験は行動主義心理学の古典的条件づけや
行動療法に大きな影響を与えました。
またイワン・パブロフは
当時の世論に反した反ソビエト思想の持ち主でした。
「ロシア人初の科学者」と言われ一躍有名人となっても
公然と批判をしていたようです。
しかし時の指導者レーニンもイワン・パブロフの業績に一目置いていて
彼には良い計らいをしていました。
そんな彼の私生活では生涯一人の妻を愛し続け、
毎日運動をするなどの規則正しい生活を生涯続けた
真面目な人でした。
生理学のみならず、脳科学や心理学など他分野にも
大きな影響を与える研究をした科学者としてイワン・パブロフの名は
"歴史に刻まれています。
"
成功のためには、熱心さと一歩一歩前進することが大切だ。
【生理学者イワン・パブロフの生涯】
「ロシア人初の科学者」と言われ
未来の科学に繋がる大きな功績を残したイワン・パブロフは
1849年9月14日、
ロシア・ソビエト連邦のリャザンで誕生します。
牧師の家で育った彼は自らも司祭になるつもりで
教会の付属学校に通い始め、
1869年にはリャザン神学校を卒業します。
その後サンクトペテルブルク大学へ進学したことを転機とし、
外科医となりイリヤ・ファデエヴィチ・ツィオンの弟子になりました。
優れた手術の技術で軍医学校に進学し、
薬理学教授から生理学教授とキャリアを積む中で、
1904年にノーベル生理学・医学賞の受賞や
有名な「パブロフの犬」実験で成果を上げます。
またロシア人として初のノーベル賞受賞者となった彼は、
書籍の出版やロシア科学アカデミーの会員になるなどして
科学に貢献する人生を歩みました。
そして1936年2月27日、
肺炎の発作の後に亡くなります。
イワン・パブロフが最も情熱を注いだパブロフ生理学は
彼の死後、再評価され現代科学に大きな道しるべを
与えてくれました。
【まとめ】
・イワン・パブロフは帝政ロシア・ソビエト連邦の生理学者
・『パヴロフの犬』の実験で有名
・1904年にロシア人初のノーベル生理学・医学賞を受賞
・「ロシア人初の科学者」と言われる
『パヴロフの犬』の実験で知られるイワン・パブロフは、
生理学のみならず、脳科学や心理学など他分野にも通じる実験で
大きな功績を残した偉大な科学者のひとりです。
実験をしている間は、物事の正面的なことがらで満足してはいけない。
1849年9月14日 ロシア・ソビエト連邦のリャザンで誕生
1857年 高い塀から敷石の上に落ちる。重傷を負い長い間病床につく
1860年 教会の付属学校で司祭になるために勉強を始める
1864年 リャザン神学校に入学
1869年 リャザン神学校を卒業
1870年 サンクトペテルブルク大学に入学
イリヤ・ファデエヴィチ・ツィオンの弟子となり外科医になる
1876年 軍医学校に入学
1879年 医師の資格を取得し、医師ボートキンの生理学研究所に就職する
1881年 セラフィマ・ヴァシリエヴナ・カルチェフスカヤと結婚
1883年 博士の学位を取得
1884年 2年間ドイツに留学し、
ライプチヒ大学のルドウィッヒ教室及びブレスラウ大学のハイデンハイン教室で学ぶ
1888年 消化生理学研究を始める
1890年 軍医大学校の薬理学教授に就任する
1891年 実験医学研究所の生理学実験室長となる
1895年 生理学教授に配置換えとなる
1897年 著書『主要消化腺の働きに関する講義』を出版
1902年 飼育係の足音で犬が唾液を分泌している事を発見し、そこから条件反射の実験を行う
1904年 ノーベル生理学・医学賞を受賞する。ロシア人として初のノーベル賞受賞者となる
1907年 ロシア科学アカデミーの会員に選出される
1910年 研究用に防音効果を備えた研究室「沈黙の塔」の建設を始める
1923年 著書『高次神経活動の客観的研究』を出版
1927年 著書『大脳半球の働きについて』を出版
1935年 第15回国際生理学会を主催する
1936年2月27日 2度目の肺炎の発作の後に死去