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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

イアン・ソープ
魚雷を意味するtorpedo(トーピード)をもじったThorpedo(ソーピード)の愛称を持つ競泳選手。 オリンピックで5つの金メダルを獲得した。
出生国:オーストラリア
誕生日:1982年10月13日

イアン・ソープ

成功とは、自分の達成度のことだ。
他人を気にする必要はまったくない。

イアン・ソープと言えばアテネオリンピックで活躍した
水泳選手として記憶に新しいですよね。

今回はオリンピックで5つもの金メダルを獲得した
イアン・ソープの人物像と現在の活動についてご紹介します。

世間を賑わせた彼の現在、気になりますよね。

 

【5つのメダルを獲得したイアン・ソープってどんな人物?】

15歳にして世間を賑わせた競泳選手イアン・ソープ。

彼の現在を知る前に、
今一度イアン・ソープがどんな人物であるかご紹介します。

イアン・ソープは
1982年10月13日生まれの
オーストラリア出身の元水泳選手です。

水泳大国と言われるオーストラリアで
史上最年少記録となる15歳でオーストラリア水泳男子代表となり、
世界中にその名が知れ渡りました。

当時の日本でも、同世代に活躍していた競泳の北島康介さんの
ライバルとして大きな注目を集めます。

2000年 に開催された シドニーオリンピックで、
400m自由形、4×100mフリーリレー金メダル、
4×200mフリーリレーで3つの金メダルを獲得。

2004年のアテネオリンピックでは、
200m自由形、400m自由形で2つ金メダルと、
オリンピックで5つの金メダルを獲得する功績をあげます。

またオリンピックで100-200-400mの組合せで
メダルを獲得したのは現在でも彼だけなのです。

オリンピックのみならず通算11の世界水泳で金メダルを獲得したイアン・ソープには、
魚雷と彼の名前を組み合わせた
「Thorpedo(ソーピード)」という愛称がつけられました。

そんな水泳界のスターは、
2006年11月に意欲の減退を理由に現役を引退します。

しかし2011年2月にロンドンオリンピック出場を目指し、
現役復帰するのです。

100メートル・200メートル自由形やリレーに力を入れた彼ですが、
2012年3月の予選で敗退し、出場できず、
水泳界の表舞台から去りました。

それから現在までのイアン・ソープがなにをしていたのかをお伝えします。

もっと知りたい、もっと学びたい。
こうした好奇心を失わないことで、人は成長していくのだと思う。

【「ソーピード」と呼ばれたイアン・ソープの現在】

若くして競泳で世界制覇をしたイアン・ソープ。

水泳界から離れた彼は現在、
オーストラリア水泳界の「レジェンド」となりました。

ロンドンオリンピック予選敗退後の2012年には
自叙伝「This Is Me」を出版します。

その中で10代の頃から、「うつ病と闘っている」と告白しています。

スターと言われたアスリートの重圧もあったのでしょう。

長きにわたって苦しめられたうつ病の治療は2014年に終了したそうです。

そしてその年には出演したチャンネル10のテレビ番組で、
自身が同性愛者であることをカミングアウトしました。

「自分がゲイだと世界に宣言することで、
他の人たちもカミングアウトしやすくなってくれれば」との言葉を述べています。

イアン・ソープの告白はLGBTの権利問題に多大な影響力を
与えたことでしょう。

2016年には彼氏と思われる男性との交際が発覚し、その動向が注目を集めています。

そして現在はオーストラリの水泳チームにアドバイスをするなどして
水泳に携わっています。

またイアン・ソープ基金を設立し
難病と戦う子ども達を支援したり、
オーストラリア観光親善大使をするなど
文化的な活動もおこなっています。

若くしてアスリートとしての栄光をつかんだイアン・ソープ。

引退後の現在は病も克服し、
第二の人生を楽しんでいるようです。

 

【まとめ】
・イアン・ソープは史上最年少記録となる
15歳でオーストラリア水泳男子代表となった競泳選手
・ 魚雷と自身の名前が組み合わせられた「ソーピード」が愛称
・オリンピックで5つの金メダルを獲得
・オーストラリア人選手として最多のメダル受賞数
・同性愛者であることを告白

伝説的な水泳選手として知られるイアン・ソープは、
引退後の今もレジェントとして、その動向に注目が向けられています。

有名な人と普通の人を分けるのは、何かに打ち込んだ量の差だと思う。

1982年10月13日 オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州シドニーで誕生
1977年 史上最年少記録となるオーストラリア水泳男子代表に選ばれる
1998年 パース大会の400メートルで最年少記録となる金メダル獲得
2001年 世界水泳で6つの金メダルを獲得
2004年3月29日 アテネオリンピック・オーストラリア代表選考会でフライングにより失格
   4月 五輪出場を熱望する国内世論に折れる形で2位の選手が400mを辞退し、
      代表となる
   アテネオリンピックで自由形200mと400mの金メダルと100mの銅メダルを獲得
2006年11月 意欲の減退を理由に現役引退
2011年2月 現役復帰を表明。ロンドンオリンピックを目指す
2012年3月 オリンピック予選で敗退
2014年7月13日 出演したチャンネル10のテレビ番組で同性愛者であることを告白
        うつ病に苦しんでいることも告白

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