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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

アレクサンダー・グラハム・ベル
世界で初めて実用的な電話を発明した発明家
出生国:スコットランド
誕生日:1847年3月3日
命日:1922年8月2日

アレクサンダー・グラハム・ベル

人生とは素晴らしく、興味深いものです。
色々な事が起こるものですがたいていは予想していなかったことです。

アレクサンダー・ベル(アレック)は、
1847年3月3日にスコットランドのエディンバラに生まれました。

世界で初めて「電話機」の発明に成功した彼に大きな影響を与えたのが、
母親に聴覚障害があったことでした。

視聴覚障害者でもスムーズにコミュニケーションがとりやすくなるようにと、
様々な方法を生み出した経験がもととなり、アレックは音響学に興味を持つようになります。
1863年、父につれられ見に行ったオートマタ(機械人形)に強く魅了され、
兄メルヴィルと共にオートマタの制作を始めます。

そこから生まれた自作のオートマタの頭部は、はっきりと人の言葉を話し、
見学にきた人々を驚かせるほどの完成度の高さでした。
これが、アレックの初めての音声実験だと言われています。

人類史に大きな功績を残したアレックでしたが、その人生には多くの悲劇が待ち受けていました。
母親の聴覚障害、父親の病気の悪化。
そして、何よりの悲劇は弟のエドワードと、兄のメルヴィルを、結核により若くして亡くしてしまったことでした。

もともと病弱であったアレック自身も体調不良に陥り、
たった1人残った息子のために、両親は環境の良いカナダへの移住を決意します。

一般的に、人は生まれながらのものに負うところは少ない。
人は自分自身を作り上げていくのだ。

カナダでの生活を経て体調が回復したアレックは、
1871年4月にボストンに移住したのち、本格的に電話の発明に取りかかります。

当初、アレックはボストン大学で発声生理学と弁論術の教授の職についていましたが、
多忙さゆえに研究のための十分な時間を確保できないでいました。

疲労やストレスからひどい頭痛に悩まされるなど、苦しい日々を送るアレックは、
とうとうボストンでの職をあきらめ、研究に集中することを決意します。

ここから、電話の開発は一気に進展しました。
この時に雇ったジョージ・サンダースとメイベル・ハバードの2人生徒が、大きな役割を担うこととなります。
それぞれの父であるトーマス・サンダースとガーディナー・グリーン・ハバードはアレックの理解者となり、
実験のための設備や資金を援助する様になったのです。

また、トーマス・ワトソンを助手に迎えたことも大きな転機となりました。

多くの協力者に恵まれたアレックは、1876年3月10日にとうとう電話の実験に成功。
電話を通して伝えられた最初の言葉は「ワトソン君、用事がある、ちょっと来てくれたまえ」でした。

現代でも欠かすことのできない電話を発明したアレクサンダー・ベルは、1922年8月2日に75歳でその生涯を終えます。
人類の進歩に大きく貢献したアレックは、歴史上もっとも影響を及ぼした人物の1人と言われています。

扉が閉じたらもう一つの扉が開く。
だが、閉じられた扉を悔しそうにじっと見つめていては別の扉が開いたことに気づかない。

1847年3月3日 スコットランドのエディンバラに生まれる
1863年 父に連れられオートマタを見に行ったことがきっかけで、兄と共にオートマタの開発に取りかかる
1865年 ベル一家がロンドンに移住。アレック本人はウェストンハウス学院に助手として戻る
1867年 極度の疲労により体調不良に陥る
     弟のエドワードを結核により失う
1870年 兄のメルヴィルを結核により失う
     両親と兄の未亡人であるキャロラインとともにカナダへと移る
1871年4月 父の推薦により、1人でアメリカのボストンへと移る
1872年10月 "School of Vocal Physiology and Mechanics of Speech" を開校。聴覚障害者に視話法を教える
1873年 ボストン大学で発声生理学と弁論術の教授の職につく
     教授の仕事に時間をとられ、研究がままならなくなり、体調不良に陥る
    その結果、音響に関する実験に専念すると決意し、ジョージ・サンダースとメイベル・ハバードを雇う
1874年 harmonic telegraph に関する研究が新たな段階へと入る
1875年3月 科学者ジョセフ・ヘンリーを訪ね、意見を求める
1874年 電話開発に重要な役割を担うトーマス・A・ワトソンと出会う
1875年6月2日  acoustic telegraphy の実験を行う
        この時にワトソンがリードを一本偶然引き抜いたことから、大きなヒントを得る
1875年  acoustic telegraph を開発
1876年3月3日 特許がアメリカで認可される
1876年3月10日 電話の実験に成功
1876年8月3日 実験により、長距離でも音声を伝えることが可能なことが証明される
        フィラデルフィアでの万国博覧会で電話を公開
1877年 ベル電話会社を創業
1877年7月11日 メイベル・ハバードと結婚
1878年 長女のエルシー・メイ・ベルが誕生
1880年 マリアン・ハバード・ベルが誕生
     他にも男児2人に恵まれるが、こちらは幼少期に亡くなっている
1886年 アメリカで15万台の電話が使われる様になる
1879年 エジソンのカーボンマイクの特許を買い取り、さらなる改良を加える。これにより、さらなる長距離の会話が可能になる
1880年6月21日 光通信システムの先駆けであるフォトフォンの実験に成功
1881年 金属探知機を発明
1915年1月 世界初の大陸間横断通話を行う
1922年8月2日 糖尿病からくる合併症により死去。享年75歳

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