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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

アベベ・ビキラ
オリンピックのマラソン種目で史上初の2大会連続優勝を果たし、金メダルを2個獲得した人物。
出生国:エチオピア
誕生日:1932年08月07日
命日:1973年10月25日

アベベ・ビキラ

暑さ寒さ。
風にしても誰にも吹くものだ。
強い者は強い。
だから、運も不運もない。

オリンピックのマラソン種目で
史上初の2大会連続優勝を果たしたアベベ・ビキラ。

サハラ以南のアフリカ出身者として、初のオリンピック金メダル選手であり
「裸足の英雄」と呼ばれた
"アベベ・ビキラの人生とその功績に迫ります。

"

【エチオピアを代表するアベベ・ビキラとは?】

オリンピックのマラソンで
史上初の金メダル2つを獲得したアベベ・ビキラは
1932年8月7日に、エチオピアのショア州デュノバのジョル村で誕生します。

家は貧しい小作農家であり、ろくに学校にも通えず、
ピキラは家業の手伝いをしながら育ちました。

そんな彼は、19歳になると皇帝ハイレ・セラシエ1世の親衛隊に入隊。
その出来事がきっかけで、アベベ・ビキラの人生に転機が訪れます。

親衛隊では、当時訓練の一環としてスポーツのトレーニングが行われていました。
そこで、ピキラはマラソンの才能を開花させたのです。

みるみるうちに頭角を現したアベベ・ピキラは、
オリンピック選手として選出。
当時の世界最高記録となる2時間15分16秒2で優勝を飾りました。

無名の国の、無名の選手の活躍は、世界中の注目を集め、
アベベ・ピキラの名は瞬く間にマラソン界に知れ渡ることとなったのです。

次の東京オリンピックでも2時間12分11秒2の世界最高記録で
再び金メダルを獲得し、
オリンピックマラソン初の、2大会連続優勝という偉業を成し遂げます。

このオリンピックでの功績が称えられ、
アベベ・ピキラは親衛隊でも大尉に昇進しました。

しかしこの後、彼の身に不幸が襲います。

1969年3月23日の夜、自動車運転中に事故を起こし、
その後遺症により、下半身不随となってしまったのです。

しかし、アベベ・ピキラはスポーツの道を諦めませんでした。
懸命なリハビリを続け、身障者スポーツの世界に転向。
大会に出場できるほどに回復し、
「アベベ・ピキラ」の復活を世界中に印象付けたのです。

1973年10月25日、自動車事故の後遺症が元と思われる脳出血により
41歳で亡くなったアベベ・ピキラ。

彼は、マラソンの歴史で大きな足跡を残し
多くの人々に感動を与えたのです。

敵は67人のランナーでなく、私自身。
その戦いに勝った。

【史上初の2連続金メダルを獲得したアベベ・ビキラの功績】

「裸足の哲人」と呼ばれるアベベ・ビキラの輝かしい功績をご紹介します。

<2度の金メダル獲得>
オリンピックのマラソン種目で史上初の2大会連続優勝を果たし、
大きな功績を残します。

1960年9月のローマオリンピックでは2時間15分16秒2、
1964年10月21日の東京オリンでは2時間12分11秒2と
共に当時の世界記録を破り、優勝を飾りました。

<人並外れた体力>

フルマラソン完走後にピキラが語った
「まだ余力はある。走れと言われればもう20kmぐらい走れる」
という言葉は、多くの人々を驚かせました。

通常なら、完走後はろくに動けず、倒れてしまう選手が多い中、
アベベ・ビキラは、まったく疲れた様子を見せず
7万人の観衆を驚かせたのです。

<裸足の哲人>

ピキラがなぜ「裸足の鉄人」と呼ばれているかご存知ですか?
それは、彼が選手として初めて出場したローマオリンピックでの出来事がきっかけでした。

大会当日、運悪くに靴が壊れてしまったアベベ・ビキラは
なんと裸足で大会に参加したのです。

専用の靴を履いていても過酷なフルマラソンを裸足で完走するだけでなく
優勝までしてしまったのです。

子どもの頃から裸足で野山を駆け回っており
裸足で走ることに慣れていたからこそできる芸当ですが、
ピキラのその姿には世界中が驚きました。

<マラソン競技の新たな時代を築く>

ピキラが登場する以前のマラソンは、
耐久力が重要視されていました。

しかし、2大会連続で世界記録を打ち出したアベベ・ピキラの活躍により、
耐久力だけでなく、スピードも重要視される時代がやってきました。

また、今では当たり前となっている「陸上の高地トレーニング」も
ピキラがきっかけで導入されたと言われています。

【まとめ】
・アベベ・ビキラはエチオピア出身の陸上競技選手
・オリンピックのマラソン種目で史上初の2大会連続優勝する
・サハラ以南のアフリカ出身者として初のオリンピック金メダル獲得者
・1960年のローマオリンピックで裸足で競技に参加し「裸足の哲人」と呼ばれる
・自動車事故に逢い下半身不随となる
・事故の後遺症により、41歳で死去

41歳の若さで亡くなってしまったアベベ・ビキラですが、
彼の功績により、現代のマラソン界は大きな発展を遂げたと言っても
過言では無いのです。

マラソン・レースは、自分自身との戦いで、
自分という最強に打ち勝たなければ優勝することはできない。

1932年8月7日 エチオピアのショア州デュノバのジョル村で誕生
1951年  皇帝ハイレ・セラシエ1世の親衛隊に入隊する
    朝鮮戦争に従軍するため釜山まで派遣される
 休戦となり帰国した後、スポーツのトレーニングを受ける
1957年5月 四軍の陸上競技大会に親衛隊から選抜され、マラソンで2位の結果を残す
      ローマオリンピックの陸上強化選手に選ばれる
1960年7月 ローマオリンピックの国内予選会で2位。マラソン代表に選出される
1960年9月 ローマオリンピックで当時の世界最高記録となる2時間15分16秒2で走り優勝する
1961年 出場した3つのレースで優勝する
1964年 軍曹に昇進する
   8月の東京オリンピックの国内予選で優勝し代表に選ばれる
   10月10日 東京オリンピック開会式でエチオピア選手団の旗手を務める
   10月21日 東京オリンピックで2時間12分11秒2の世界最高記録で再び金メダルを獲得する
   少尉に昇進する
1965年 4年ぶりの毎日マラソンで優勝する
1966年 ソウル国際マラソンで優勝する
1967年 中尉に昇進する
1968年10月 メキシコシティーオリンピックで17km地点で棄権する
   大尉に昇進する
1969年3月23日 自動車事故を起こし、下半身不随となる
1970年 リハビリを重ねストーク・マンデビル競技大会に参加する
1971年 ノルウェーで開催された身障者スポーツ週間の犬ぞりレースに参加して優勝する
1972年9月 ミュンヘンオリンピックに招待され、車いすの姿で開会式にゲストとして出演
1973年10月25日 自動車事故の後遺症が原因とみられる脳出血により41歳で死去

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