阿久悠
無責任な拍手喝采よりも、重々しい無言の反応に価値ありと信じて、堂々と歩いてほしい。
「怪物ヒットメーカー」と呼ばれた阿久悠。
放送作家、詩人、作詞家、小説家として
数々の作品と名言を残しました。
第2回横溝正史ミステリ大賞
紫綬褒章、
第45回菊池寛賞旭日小綬章受章
これら数々の賞を受賞した阿久悠とは、どのような人物だったのでしょうか?
彼の残した名言とともご紹介していきましょう。
【多くの作品を残した阿久悠の人生】
昭和史に残る名曲を生み出した、阿久悠こと深田公之。
彼は1937年2月7日に 兵庫県津名郡鮎原村で誕生します。
幼少期は兵庫県警巡査であった父親の仕事の都合で
数年ごとに転居をする生活でした。
明治大学文学部卒業、
現在の電通アドギアの前身である宣弘社に入社。
脚本家をこころざしていたのですが、実際に担当した仕事はCMの絵コンテ描き。
「何のためにここにいるのか?」と自分の仕事に疑問を持っていた阿久悠ですが、
この経験こそが、「作詞家阿久悠」を作る重要な土台となったのです。
テレビCMの仕事を経て、思わぬ方向へ才能を開花させた阿久悠は
宣弘社を退職し、作詞の勉強をし始めます。
その結果、昭和の時代を代表する大ヒット作を次々と生み出していきました。
生涯で作詞した曲は、歌謡曲からアニメソング、CMソングと非常に幅広く、
その数5,000曲以上。
「感動する話は長い、短いではない
3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである 」
阿久悠自信が語った名言のごとく、短いながらも印象に残る曲を作り続けました。
また、テレビ史に残る大人気番組 『スター誕生!』にて
阿久悠は番組企画・審査員として携わっています。
同番組は最高視聴率28.1%を記録し、多くの芸能人を生み出しました。
1980年代に入り後進の作詞家たちが勢いを増すと
小説執筆や演歌の作詞などに励むようになります。
小説家としても高く評価された彼は
1982年に『殺人狂時代ユリエ』で
第2回横溝正史ミステリ大賞を受賞。
そして30年間にわたる活動の功績が称えられ
1999年天皇陛下より紫綬褒章を受章されたのです。
晩年も意欲的に活動を続けた阿久悠は
2007年8月1日 尿管癌のため、70歳でその生涯を終えました。
死後、旭日小綬章・第59回日本レコード大賞特別賞も受賞した阿久悠は、
"時代を超え、私たちの胸を熱くさせるのです。
"
人間が守らなければならないのは、うまく生きる術ではなく、自分の値打ちを正確に評価する感性だ。
【紫綬褒章も受賞した阿久悠の名言7選】
日本の歌謡界を支えた阿久悠。
そんな彼が残した、心を動かす名言を7つご紹介します。
初めに阿久悠の人生観がわかる名言です。
"
「続けることがなぜ大切なのかというと、
"
続けることによって違う方法論を編み出さなければ続かなくなってくるということなんです
また、続けることが一つの刺激にもなってくる
継続のためにおりおり新しい方法論を考える、自分を刺激する努力をする
と、これは単に日記のための方法論ではなく、僕の人生そのもののような気がします。」
「何が美しい、何がカッコいい、何が恥ずかしいか、
この3つの基準だけをしっかり持って照合すれば立派に生きられる」
続いて仕事においてのマインドを語った名言です。
「無責任な拍手喝采よりも、
重々しい無言の反応に価値ありと信じて、堂々と歩いてほしい」
「それをやったらおしまいやとそれをやらなきゃおしまいや
の二つを守ってこそ、仕事で生きる値打ちがある。」
最後に作詞家ならではの心にグッとくる名言ですね。
「うまくやるだけが人生ではないと思いたいから、慕いつづける恋をすすめる。」
「心を砂漠にしてはいけない、乾いた心に夢は湧かない」
「青春時代が夢なんて あとからほのぼの想うもの
青春時代の真ん中は 胸に棘刺さすことばかり。」
以上7つの名言をご紹介しました。
言葉を使って仕事をしていた阿久悠の名言は
私たちの感情を揺さぶるものがあります。
彼の芯の通った人生や仕事への信念は見習うものがありますね。
【まとめ】
・阿久悠は「怪物ヒットメーカー」と呼ばれた作詞家
・脚本家、小説家、詩人でもある
・生涯に5000曲以上作曲した
・紫綬褒章、旭日小綬章受章
・第2回横溝正史ミステリ大賞を受賞
昭和の時代を代表する阿久悠の手掛けた楽曲は
今も多くの人に愛され、歌われ続けているのです。
世の中の何に反応するかということで、その人の生き方そのものが表現される。
1937年2月7日 兵庫県津名郡鮎原村で誕生
1959年 明治大学文学部卒業
広告代理店・宣弘社(現・電通アドギア)に入社
コピーライター・CM制作を手がける
1964年 放送作家としてのも活動する
1966年 宣弘社を退職。放送作家、作詞家として本格的に活動する
作詞の勉強も始める
1965年5月10日 作詞家としての処女作ザ・スパイダースの
グループ・サウンズデビュー曲「フリフリ」のB面である「モンキーダンス」を発売
1966年11月 初のシングルA面曲は山崎唯の「トッポ・ジージョのワン・ツーかぞえうた」を発売
1968年 本格デビューしたザ・モップスの「朝まで待てない」で
自身初のオリコンチャートでのランクイン
1977年 子供向けの歌「ぱくぱくポケット」シリーズを制作し始める
1982年 『殺人狂時代ユリエ』で第2回横溝正史ミステリ大賞を受賞
1997年 第45回菊池寛賞を受賞
1999年 紫綬褒章を受章
2000年10月 掌編小説集『詩小説』で第7回島清恋愛文学賞を受賞
2001年 腎臓癌になり癌の摘出手術を受ける
2007年8月1日 尿管癌のため70歳で死去
死後 旭日小綬章を授与される
第49回日本レコード大賞では特別功労賞
第45回ゴールデン・アロー賞では芸能功労賞
2009年 明治大学連合父兄会阿久悠作詞賞を制定
2010年 明治大学アカデミーコモン地階に阿久悠記念館が開設される
2017年 第59回日本レコード大賞で特別賞を受賞