一人一人が持っている才能を正しく理解し、
最高のパフォーマンスを発揮する社会を作る

一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

石井十次
明治期の慈善事業家で、岡山孤児院を創設した人物。 その功績から、「児童福祉の父」と言われる。
出生国:日本
誕生日:1865年05月05日
命日:1914年01月30日

石井十次

信じて疑ふことなかれ。
祈りて倦(う)むことなかれ。
為せよ、屈するなかれ。
時重なればその事必ず成らん。

児童福祉制度がまだなかった明治時代。

子供の福祉のために生涯を捧げた石井十次をご存じでしょうか。

彼の功績は何人もの命を救い、
児童福祉の概念を作り出してくれたのです。

そんな石井十次の人物像と彼の残した功績をご紹介します。

 

"【数々の功績を残した石井十次について】
"

児童福祉の父と言われる明治時代の慈善事業家、石井十次。

日本の福祉の概念を作り出す功績をあげた彼は、
1865年5月5日現在の宮崎県児湯郡高鍋町馬場原で
下級武士の長男として生まれます。

岡山で岡山医学校の医学生として
医師を目指していた彼は、
入信するキリスト教の巡礼途中で
夫に先立たれた母親から一人の男の子を引き取ることになります。

この出来事をきっかけに
医学の道ではなく、 孤児救済に人生を捧げることを決意します。

明治に入り近代化する日本の中で、貧困に苦しむ子供、
地震や天災、戦争で孤児になった子供たちが沢山いました。

石井十次は岡山孤児院を設立し、自ら孤児の調査を行い
引き取った孤児は1,200人以上に上ります。

東京、大阪に事務所を拡大すると、ただ引き取るだけでなく
子供たちの健康・自立を支援する為のしくみを作りました。

施設運営の資金は寄付によるものも大きかったのですが、
孤児による音楽隊、音楽幻灯隊を作り義援金をもらい
運営資金にするなど
現代の児童福祉の基礎となるしくみを作ったことも彼の功績の一つです。

福祉のために奮闘した石井十次は48歳の時に持病の腎臓病により亡くなります。

死後、彼の作った孤児院は一時は閉鎖したものの
現在は意志を受け継いだ
財団法人石井十次顕彰会が設立されています。

石井十次の数々の功績は今の私たちの社会を豊かなものにしてくれているのです。

親のない孤児よりも、もっと不幸なのは心の迷い子、精神の孤児なのです。

【石井十次の功績とは?「児童福祉の父」】

孤児救済に生涯をかけた石井十次の功績の数々をご紹介します。

「日本初の孤児院を設立し、三千名近くの孤児を助ける」
日本で初めての孤児院、孤児教育会を設立します。

その後事業を拡大していき、東京・大阪と
広範囲で救済活動を行ったのです。

石井十次は近代化のひずみや災害で犠牲になった子供たちを数多く助けるとともに、
その子供たちが活躍する未来の日本を救いました。

「現代にも引き継がれる児童福祉の概念を作る」
石井十次はただ孤児の生活を助けるだけでなく、
子供たちの明るい未来に繋がる為の施設運営をしました。

具体的には、
・子供たちが自立するための職業訓練をする事業部の設立
・子供たちに自由を与えることや情操を豊かにすることを目的とした風琴音楽隊の設立
・保育士と子ども十数人が一緒に生活するための家をいくつも建て家族制度を実施
・夜学校、保育所の設立
・里親制度への試み

などをして子供が心身ともに成長できる環境を整えました。

これは児童福祉の礎をつくった彼の大きな功績の一つです。

「運営費」
寄せられた寄付金以外にも
孤児により結成した音楽隊の公演で寄付金を募ったり、
職業訓練の中で作ったものを収入源とするなど
施設の運営の方法も生み出しました。

石井十次が残した功績、想いは現代の児童福祉の中で生きています。

 

【まとめ】
・石井十次は児童福祉の父と呼ばれた明治期の慈善事業化
・日本初の孤児院、孤児教育会を設立する
・孤児を3千人近くも救済した
・当時はなかった児童福祉の概念を作り出す
・死後、財団法人石井十次顕彰会

孤児を救い、児童福祉の概念を作った石井十次の功績は
現代に受け継がれ、多くの子供たちの希望となっています。

愛の道に坂なし、大胆のなかに妙法あり

1865年5月5日 日向国児湯郡上江村馬場原で誕生
1879年  海軍士官を志す。東京の攻玉社に入学する
     脚気により1年で退学する
1880年 酒席で反政府の檄文を書いたことで国事犯で投獄される
1881年 幼馴染の内野品子と結婚する
    上江小学校で教師となる
1882年 宮崎警察署の巡査となる
    自身が性病になったことから医学を学ぶため岡山市に移住
    岡山甲種医学校に入学する
    キリスト教に入信する
1884年 岡山基督教会で洗礼を受ける
1886年  岡山県甲種医学校の進級試験に失敗。上阿知の診療所で代理診療を行う
1887年 巡礼途中で夫に先立たれた女性の息子を引き取る
   9月22日 孤児教育会を岡山市の三友寺で創設する ぼろ軒の下学校を始める
1888年 小林富次郎商店(現:株式会社ライオン)から寄付金の提供を受け始める
1889年 医学の道ではなく、 孤児救済に人生を捧げることを決意
1892年  前年に起きた濃尾地震で被災した孤児93人のための孤児院を名古屋市に開設する
1895年  妻、 品子死去。吉田辰子と再婚する
1898年 私立岡山孤児院尋常高等小学校を設立する
    知り合った大原孫三郎から経済的援助を受けるようになる
    孤児による音楽隊、音楽幻灯隊の活動を始める
1904年 日露戦争で戦争孤児となった63名を受け入れる
1906年 東北地方の凶作により孤児となった824名を受け入れる
    岡山孤児院の収容者数が1,200人を超えた
1907年  東京と大阪に事務所を開設する
1909年  大阪に愛染橋保育所と愛染橋夜学校を設立する
    東京に日本橋同情館を設立する
1913年 私立茶臼原尋常小学校を設立する
1914年1月30日 持病の腎臓病が悪化し48歳で死去
1981年 財団法人石井十次顕彰会が設立される

アクシスプロファイル簡易診断で、
あなたのスピリットプロファイルを明らかにしてみましょう。
無料で受講