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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

北野武
ビートたけしの芸名で活動するお笑いタレントありながら、世界中で評価される映画監督でもある
出生国:日本
誕生日:1947年1月18日

北野武

生きていればいいじゃんってこと。
何もしないで死ぬのが一番嫌だな

お笑い芸人の「ビートたけし」と、映画監督の「北野武」の2つの顔で知られている北野武は、
1947年1月18日に東京都足立区島根で生まれました。

教育熱心な母の影響で学校での成績はよく、明治大学工学部に現役で合格。

しかし、学生生活が肌に合わず、大学2年生の時に、家出同然で一人暮らしを始めます

その後はいくつものアルバイト転々とし、芸能に興味があったことから演芸の道へ。

1972年、ストリップ劇場である浅草フランス座の経営者兼座長の深見千三郎に弟子入りし、
前座芸人としてコントを学びはじめました。

2年先輩の兼子二郎(ビートきよし)から誘いを受けたことから、
のちの「ツービート」となるコンビを結成。

毒舌を中心とした型破りな漫才により、徐々に注目される存在へとなっていきます。

当時話題となった事件をネタにしてしまうなど、
一部では「不謹慎だ」と批判されることもあったものの、
毒舌ネタと毒舌漫才を売りに、ツービートは一躍有名になっていきます。

しかし、そんな時に、フライデーの記者が北野の知人女性に怪我をさせてしまう事件が発生。

これに激怒した北野は、自分の後輩や弟子からなる「たけし軍団」の一部のメンバーを連れ、
フライデーの編集部に乗り込みました。

この事件は「フライデー襲撃事件」と呼ばれ、
不法侵入や暴行により現行犯逮捕された北野は、その後数ヶ月間の自粛期間に入ることに。

数年後にバイク事故により障害を負ってしまったことも重なり、
公の場で漫才を披露する機会も減ってしまいました。

人生で楽しいことばかりじゃない。
苦しいと思うことも生きている証だと思えば楽しめる

しかし、そこから、「世界の北野」の名を世界中に知らしめることとなる
映画監督としての活動を始めることとなります。

そのきっかけは、1989年に公開された『その男、凶暴につき』でした。

当初、この作品の監督は別の人物が担当する予定でしたが、スケジュールが合わずに辞退。

話題性があるという理由から、
本来主演だけ担当するはずだった北野が監督を兼任することとなります。

そこから、北野は監督としての才能を開花。

1997年には『HANA-BI』が第54回ヴェネツィア国際映画祭にて
日本の作品では40年ぶりとなる金獅子賞を受賞します。

北野の作品は主に海外で非常に高い評価を得ており、
第52回カンヌ国際映画祭で公開された『菊次郎の夏』では、
5分間にもおよぶスタンディングオベーションを受けました。

その後も、第64回ヴェネツィア国際映画祭や第30回モスクワ国際映画祭でも章を受賞。

2010年にはその功績によりフランス芸術文化勲章『コマンドゥール章』を授与されています。

芸人としては「タモリ」や「明石家さんま」とともに日本のお笑いBIG3の一角をにない、
映画監督としては世界中で数多くの賞を受賞する名監督して知られる北野武は、
2018年にその功績により、日本の勲章である旭日小綬章を授与されています。

他人への気遣いで大切なのは、話を聞いてやること

1947年1月18日 東京都足立区島根で生まれる
1965年 東京都立足立高等学校を卒業
明治大学工学部機械工学科に入学
学生生活に馴染めず、五月病を患い2年の時に一人暮らしを開始。アルバイトを転々とする
その後、単位が足りないことにより明治大学を除籍となる
1972年 浅草フランス座で芸人見習いのエレベーターボーイとして働き始める
深見千三郎に弟子入りし、前座芸人として舞台に立つ
1970年代後半 ビートきよしと組む「ツービート」が注目を集め、『ライバル大爆笑!』でテレビ初出演
1980年6月 ネタ本である『ツービートのわッ毒ガスだ』を発刊。85万部の売上を達成する
1980年10月 『笑ってる場合ですよ!』で火曜日のレギュラーとなる
1981年1月1日 ラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』のパーソナリティを担当
フジテレビのバラエティ番組『オレたちひょうきん族』に出演
1982年 漫才ブームが終わり、以後、単独で数々の番組の司会をすることに
1985年 『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』など、
自身が企画、構成、出演をした数々の番組が放送。民放4局8時ゴールデンタイムの視聴率トップを達成
相方のビートきよしが太田プロを退社
1986年12月 フライデー襲撃事件が発生。現行犯逮捕される
1989年 『その男、凶暴につき』で監督デビュー
1991年 『3-4x10月』でトリノ国際映画祭特別賞を受賞
『あの夏、いちばん静かな海。』で第34回ブルーリボン賞最優秀作品賞・監督賞を受賞
1993年 『ソナチネ』でタオルミナ国際映画祭グランプリを受賞
1994年8月 バイク事故を起こし、大けがを負う
1995年3月4日 『平成教育委員会』でテレビ復帰
『ソナチネ』でコニャック国際映画祭批評家賞を受賞
1996年 『キッズ・リターン』で第39回ブルーリボン賞 監督賞を受賞
同作品で第6回日本映画プロフェッショナル大賞監督賞を受賞
1997年 『HANA-BI』が、第54回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞
1998年 『HANA-BI』でニューヨーク国際映画祭国際映画賞
サンパウロ国際映画祭批評家賞
第10回ヨーロッパ映画賞 スクリーン・インターナショナル賞
第41回ブルーリボン賞 作品賞・監督賞・主演男優賞を受賞
1999年 第52回カンヌ国際映画祭で『菊次郎の夏』が上映される
第8回日本映画批評家大賞監督賞を受賞
2002年 『Dolls』でダマスカス国際映画祭 最優秀作品賞を受賞
2003年 『座頭市』で第60回ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞
第33回シッチェス・カタロニア国際映画祭 グランプリ
第26回トロント国際映画祭 観客賞
第27回日本アカデミー賞 最優秀編集賞を受賞
2006年 ガリレオ2000賞 文化特別賞を受賞
2007年 『監督・ばんざい!』で第64回ヴェネツィア国際映画祭 監督・ばんざい!賞が新設される
2008年 モスクワ国際映画祭 特別功労賞を受賞
2008年 テッサロニキ国際映画祭 ゴールデン・アレクサンダー名誉賞を受賞
2008年 GQ MEN OF THE YEAR 2008に選出
2009年 『アキレスと亀』でソフィア国際映画祭 観客賞を受賞
2010年3月9日 フランス芸術文化勲章の一つコマンドゥール章を授与される
2013年 『アウトレイジ ビヨンド』で第22回日本映画批評家大賞 監督賞を受賞
2015年 第8回したまちコメディ映画祭in台東 コメディ栄誉賞を受賞
2016年 フランスからレジオン・ドヌール勲章 オフィシエが授与される
2018年 日本の勲章である旭日小綬章を授与される

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