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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

ミハイル・ゴルバチョフ
ソ連最後の大統領であり、同年にノーベル平和賞を受賞した
出生国:ロシア
誕生日:1931年3月2日

ミハイル・ゴルバチョフ

自分の間違いを認めることは非常に難しい。
しかしそれをしなければ先には進めない。

ミハイル・ゴルバチョフは、
1931年3月2日にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国にあるプリヴォリノエ村で生まれました。

独ソ戦の終結後、14歳でコンバインの運転手として働きはじめます。
成績はとても優秀で、
上級学校で銀メダルを授与さたり、18歳の時には労働赤旗勲章を授与されるほどでした。

その後、19歳でモスクワ大学法学部に入学。
在学中にソ連共産党に入党し、
正直で改革の志のあることで周囲からの評価を得て行きます。

書記として活躍する中で、
国の農業管理システムなど、ソビエトの政策について
「問題があるのでは?」と考え始めます。

1985年3月には、ゴルバチョフは書記長に就任しました。
当時のソ連には大統領制がなかったため、
書記長は実質的な最高権力者でした。

1985年には、当時独裁的であったソ連の政治を、民主的な方向へと変えていく
「ペレストロイカ」を提唱。

また、アメリカ大統領であるブッシュとの間で冷戦終結を宣言したり、
中距離核戦力全廃条約の締結にも尽力するなど、数多くの功績を残しているのです。

ゴルバチョフは、これらの功績が理由で1990年にノーベル平和賞を受賞しています。

いままで使ってきた方法や手段で今後も問題を解決できると思っているとしたら
その考えは甘いと言わざるを得ない。

多くの変革をもたらしたゴルバチョフは、
1990年3月15日に、大統領制が取り入れられたことを機にソ連で初の大統領に就任します。

次々とソ連の政策を改革していこうと動いていくゴルバチョフですが、
保守派からはあまりよく思われていませんでした。

1991年にはウラジーミル・クリュチコフ、ヤナーエフ副大統領らが率いる保守派が起こした「8月クーデター」により、
家族らと共に大統領別荘に軟禁されてしまいます。

結果として、保守派は軍部や国民の支持を得られずクーデターは失敗と終わるのですが、
皮肉なことにクーデターの関係者のほとんどがゴルバチョフ の側近だったことから、
ゴルバチョフ自身の信頼を損ねる原因となってしまいました。

この出来事が影響して、ソ連の政治はバランスを崩し、1
991年の12月にソ連は崩壊してました。
結果として、ゴルバチョフ はソ連の最初で最後の、
唯一の大統領となったのです。

大統領を辞任したゴルバチョフは通称ゴルバチョフ基金を設立し、
主に環境問題などに積極的に取り組むようになりました。

米『タイム』誌が選んだ「20世紀の重要人物100人」では、
ロシア出身の政治家からはレーニンとゴルバチョフだけが選出されています。

今やるべきじゃない?
じゃあいつやるんだ。

1931年3月2日 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のプリヴォリノエ村で生まれる
1941年 独ソ戦が始まる
1950年 スタヴロポリ市当局の推薦でモスクワ大学法学部に入学
1952年10月 ソ連共産党に入党
1953年9月 ライーサと結婚
1957年 娘のイリーナが誕生
1955年 スタヴロポリ市コムソモールに第一書記に就任
1962年 スタヴロポリ地方コムソモール第一書記に就任
1966年 スタヴロポリ市党第一書記に就任
1968年 スタヴロポリ地方党第二書記に就任
1970年 スタヴロポリ地方党第一書記に就任
1971年 40歳の時に党中央委員に選出
1978年11月 党中央委農業担当書記に就任
1979年 政治局員候補として政治局入り
1982年 事実上のNo.2であるイデオロギー担当書記に就任
1985年3月 ソ連の事実上のトップである共産党書記長に就任
1985年11月 アメリカ大統領のロナルド・レーガンと米ソ首脳会談を行う
1986年4月 ペレストロイカを提唱
      同月、チェルノブイリ原発事故が発生。これがきっかけで、ゴルバチョフは情報公開を推進する
1986年7月 アフガニスタンからの撤退と中ソ関係改善を表明
1986年10月 米ソ首脳会談を行う
       後の中距離核戦力全廃条約成立につながる
1987年12月 中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)成立
1989年5月25日 初代最高会議議長に就任
1988年10月 最高会議幹部会議長に就任し、国家元首となる
1990年3月 大統領制を導入
15日 初代大統領に選出
1990年11月7日 革命記念日に暗殺未遂事件が起きる
1990年12月 外務大臣を電撃的に辞任して、世界中を驚かせる
       ノーベル平和賞を受賞
1991年 8月クーデター発生。大統領別荘に軟禁される
8月22日 クーデターの関係者逮捕
8月24日 ソ連共産党書記長を辞任
     エストニアとラトビアの独立を承認
     ソ連共産党中央委員会の自主解散を要求
8月29日 ソ連共産党の活動の全面停止が決定する。これにより、共産党は解体された
12月 ソ連の崩壊
12月25日 ゴルバチョフがソ連大統領を辞任
1991年12月 国際社会経済・政治研究基金(通称、ゴルバチョフ基金)を設立
1996年 ロシア大統領選挙に立候補するが、落選
1999年9月20日 妻のライーサ、白血病で死去
2001年11月 ロシア社会民主党党首に就任
2004年5月22日 ロシア社会民主党党首を辞任
2008年9月 ロシア独立民主党を結成したと発表

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