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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

マーガレット・サッチャー
イギリス初の女性首相。 保守的かつ強硬なその政治姿勢から「鉄の女」とも呼ばれていた。
出生国:イギリス
誕生日:1925年10月13日
命日:2013年04月08日

マーガレット・サッチャー

考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。

マーガレット・サッチャー、鉄の女とも呼ばれる
彼女はイギリス初の女性首相を務めた人物です。

今回は多くの名言を残したことでも有名な
マーガレット・サッチャーの人生と名言、
そして鉄の女と呼ばれた由縁をご紹介します。

 

【多くの名言で知られるマーガレット・サッチャーとは?】

イギリス初の女性首相として11年間以上も
国を引っ張ってきた鉄の女マーガレット・サッチャー。

サッチャーは1925年10月13日にイングランドで誕生します。

家は代々メソジストの信徒であり、
「質素倹約」「自己責任・自助努力」を家訓としていました。

そして地元の名士であり、市長を務めた経験のある父親を
たいへん尊敬していたのです。

そんな家庭環境がサッチャーの人生に大きな影響を与えました。

大学生に進学すると化学を専攻していたサッチャーですが、
フリードリヒ・ハイエクの経済学にも関心を寄せます。

この頃に培われた経済学に対する思想が、
サッチャリズムの原点となりました。

卒業後、彼女は日々闘いながらも志を全うしていきます。

「料理や育児や掃除だけじゃなく、人生にはもっと大切なことがある。
私は食器を洗って一生を送りたくない」

そう自身が名言として残した通り、
仕事に生きるサッチャーに理解のある男性と結婚をし、
政治の世界へ進みました。

女性政治家の存在は珍しい時代にコネも使わず
1979年5月4日、
マーガレット・サッチャーはイギリス初の女性首相となったのです。

強いリーダーシップ力で11年以上政治のトップにいた
サッチャーは政治理念を次のような名言で語っています。

「リーダーは好かれなくてもよい。
しかし、尊敬されなくてはならない」

「私は意見の一致を求める政治家ではない。信念の政治家だ。」

サッチャーは政治に関する名言をいくつも残しました。

保守的かつ急進的な改革を断行する強い姿勢から
鉄の女と言われたサッチャーは、
20世紀以後の歴代イギリス首相最長記録の11年と208日間もの間、首相を務めたのです。

引退後は貴族院議員を務めますが、晩年は認知症を患い、
2013年4月8日、脳卒中により87歳で亡くなりました。

賛否両論あった首相マーガレット・サッチャーでしたが、
よりよい国にするために尽力し、
功績を残したことは間違いありません。

続いてなぜ彼女が鉄の女と言われたのか、その理由をみていきます。

好かれようとしているだけなら、いつでも何でも妥協する用意があり、何も達成しないだろう。

【なぜ、マーガレット・サッチャーは鉄の女と呼ばれたのか?】

強い決断力やカリスマ性を持ったサッチャーは
まさに「鉄の女」というにぴったりですよね。

そもそもこの名前を付けたのは、
ソビエト連邦の国防省機関紙です。

就任当初、ソ連の共産主義に反対する姿勢をみせたサッチャーを
頑固な女という意味で「鉄の女」と名付けました。

元々はネガティブな意味で付けられましたが、
サッチャー自身は気に入っていたそうです。

そして付けられたあだ名にふさわしい政治をマーガレット・サッチャーは
行っていきます。

イギリス病と言われていた就任当初の経済を立て直すべく、
国有企業の民営化や規制緩和の福祉政策を見直しなど
「サッチャリズム」と呼ばれる政策を強硬に進めました。

その結果、代償となった貧困層などの社会的弱者から強い非難を受けます。

しかし常にイギリス全体の利益を考え、
時に冷酷な判断も下せるのが鉄の女サッチャーです。

国民からの支持率が下がる中、
マーガレット・サッチャーの人気を高める出来事が起こります。

1982年にフォークランド紛争が勃発しました。
アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵略を受け、
サッチャーはすぐさま艦隊・爆撃機をフォークランドへ派遣。

2か月の戦闘の結果、アルゼンチン軍を放逐したのです。

"「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない

"
なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである」

「侵略者が得をすることがあってはならない」

と力強い名言を発しています。
この判断力と推し進めていける力はさすがです。

国を守るために自ら好かれないリーダーになる道を選んだマーガレット・サッチャー。

サッチャーの残した数々の名言からも
いかに彼女が国のことを考えていたがわかるので、
是非名言を探してみてください。

11年以上も常に批判と闘いながら、
政治をおこなってこれたメンタルはまさに鉄の女と呼ぶにふさわしいですね。

 

【まとめ】
・マーガレット・サッチャーはイギリス初の女性首相
・在任期間は20世紀以後の歴代イギリス首相最長記録の11年と208日間
・保守的かつ急進的な改革を断行する強い姿勢から鉄の女と呼ばれる
・引退後は貴族院議員を務める

嫌われるリーダーの道を選んだマーガレット・サッチャー。
賛否両論ありますが、初の女性首相として国の為に自らの信念を貫いた政治は
功績として後世に語り継がれています。

懸命に働かずしてトップに立った人など、私は一人も知りません。
それがトップに立つための秘訣です。
必ずしもそれでトップになれるとは限りませんが、かなり近いところまでは行けるはずです。

1925年10月13日 イングランドのリンカンシャー州グランサムで誕生
1947年 オックスフォード大学で化学・経済を学び卒業
1950年 保守党から下院議員選挙に立候補。落選する
1951年 10歳年上のデニス・サッチャーと結婚
    法律の勉強を始める
1953年 弁護士資格を取得する
1959年 下院議員に初当選する
1970年 ヒース内閣で教育科学相を務める
1975年2月 保守党党首選挙に出馬。保守党党首に就任する
1979年 選挙で保守党を大勝に導く
1979年5月4日 バッキンガム宮殿に参内。エリザベス2世女王より首相への任命を拝受する
       女性初のイギリス首相に就任となる
1982年 南大西洋のフォークランド諸島でフォークランド紛争が勃発
    すぐさま艦隊・爆撃機をフォークランドへ派遣
   6月14日 イギリス軍はポート・スタンリーを陥落させ、アルゼンチン軍を放逐し高い評価を受ける
1984年10月12日 保守党党大会開催中のブライトンでIRAによる爆弾テロに遭う
   12月19日 英中共同声明を発表し、
        1997年7月1日に香港の主権を中華人民共和国に返還する
1988年 教育法を改定し、教育改革を行う
1990年11月22日 首相および保守党党首を辞任する意向を表明する
   11月28日にダウニング街10番地(首相官邸)から退居する
1992年 一代貴族として男爵位を授爵。女男爵として貴族院議員を務める
1995年 ガーター勲章を受ける
   5月 日本から勲一等宝冠章が贈られる
2007年2月21日 在世中の元首相で初めて英国議会議事堂内に銅像が建立される
2008年8月24日付 『メール・オン・サンデー』紙で8年前から認知症を発症してることが報じられる
2012年12月21日 膀胱にできた腫瘍を取るため入院
2013年4月8日 脳卒中のため満87歳で死去

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