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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

マリリン・モンロー
ハリウッド女優として世界的に有名なマリリン・モンロー。 1950年代で最も人気のあるセクシーシンボルとして知られる。 映画の出演だけで2億ドルを稼いでいた女優。
出生国:アメリカ
誕生日:1926年06月01日
命日:1962年08月05日

マリリン・モンロー

お金が欲しいんじゃない。
ただ、素晴らしい女になりたいの。

20世紀を代表するセックスシンボルの1人として人気を博した
マリリン・モンロー。

世界中を魅了した人気女優マリリン・モンローが残した名言から
彼女の人生を紐解きます。

また彼女が残した名言もいくつか紹介していきます。

 

【名言からわかるマリリン・モンローの人生】

「私が幼かった頃、誰も一度も私に可愛いねって言ってくれなかった。
子供の女の子にはみんなに可愛いねって言ってあげるべきなの。
たとえそうじゃなくても」

マリリン・モンローは幼いころに両親が離婚し、
母親に引き取られました。

しかし母親は精神病を患い、
彼女は孤児院や里親のもとで育てられたのです。

当時、国の政策で里親には援助金支給されたので、
援助金目当てで里親になる人も多くいました。

彼女もまた11人の里親のもとをたらいまさしされ、
性的虐待やネグレクトがある家庭に
引き取られたこともあったそうです。

「ベッドで私が何を身に纏うかって?
シャネルの5番に決まってるでしょ」

寝るときは何を着るか記者に尋ねられた時の言葉です。

"Dumb blonde"というスターイメージを確立した
セックスシンボルとしての粋な名言ですね。

16歳で結婚し、工場で働いていたマリリン・モンローは、
ピンナップモデルを経て1946年に女優デビューします。

彼女は女性であることを最大限に活用しスターとなっていきました。

「男性と平等でありたいと求めるような女性は、野心が足りていない」

と徹底的に自身のプロデュースをした彼女は、
1959年公開の『お熱いのがお好き』で
ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞し、
10年の女優生活で映画で2億ドルもの収入を得ました。

「女の子が本当に求めているのは、
男性はみんな同じじゃないと証明してくれる一人の男性だけなの」

恋多き女性だった彼女は生涯3度の結婚をしています。

愛に生きた女性だという事がマリリン・モンローの
数々の名言からわかりますよ。

過酷な幼少期から20世紀を代表する女優となった彼女は
36歳の若さで睡眠薬の大量服用による中毒死しました。

あまりに急すぎる死をとげましたが、
マリリン・モンローは現代でも大衆文化のアイコン的存在となり、
人々の記憶の中に生き続けています。

たとえ百人の専門家が、「あなたには才能がない」と言ったとしても、
その人たち全員が間違っているかもしれないじゃないですか。

【ハリウッド黄金期を築いたマリリン・モンローの名言たち】

マリリン・モンローが残した人生を前向きに生きる名言を
ご紹介します。

「私は女優になりたいと決心してから、
"私の自信のなさが私自身のチャンスをつぶすことがないようにしようと思ったの」

"

「人はいつだって何かを失っているのよ。
それでも私たちは生き続けなければならない、そうでしょう?」

「お金が欲しいんじゃない。ただ、素晴らしい女になりたいの」

自信を持って常に前に進むことで道は開けるのです。

地位やお金じゃなく自分で自分を素晴らしいと言えるような
人になる努力をしていきたいですね。

「私は女だし、女であることを楽しんでるわ」
「ほんとうの魅力は女らしさによって生まれるものよ」

マリリン・モンローは女性たち心強い名言も多く残しています。

社会に出ると男性と対等にと思う中で、
女性らしさを閉じ込めてしまうこと働く女性なら
誰しも経験があるでしょう。

女性としてすべてを楽しむ。

そんな芯の強い女性になろうとこの名言を聞くと思いますよね。

「以前までよく自問自答していたの。『自分の何が誇れるのだろう?』
って。そしてこう答えることにしたの。『すべてよ』」

さすがスター女優。素敵な名言です。

日々努力を重ねた先にこんな風に言える人生を
私たちも築いていきたいですね。

 

【まとめ】
・マリリン・モンローはアメリカ合衆国の女優、モデル
・1950年代で最も人気のあるセクシーシンボル
・1959年映画『お熱いのがお好き』でゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞
・死後も大衆文化のアイコン的存在となっている

ハリウッド女優マリリン・モンローは
自分らしさ、女性らしさを追求しセクシーシンボルとなり、
今でも世界中の人々に親しまれています。

キャリアって素晴らしい。
でも寒い夜にそれに寄り添うことはできないわ。

1926年6月1日  アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで誕生
        里親と孤児院で過ごす
1928年 両親が離婚
1942年 母の家の近所に住むジム・ドハティと結婚する
1944年 戦時下の中工場で働く
    第1映画部隊の写真家に紹介されピンナップモデルを始める
1946年 20世紀フォックスと1年間の映画契約を結ぶ
1948年 コロンビア ピクチャーズと1年間の映画契約を結ぶ
1951年 フォックスと2年間の映画契約を結ぶ
1953年 3つの映画で主役を演じ"Dumb blonde"というスターイメージを確立する
1954年 スタジオからの賃金の支払いが不満で休業する
    映画制作会社マリリン・モンロー・プロダクションを設立する
    知名度の高いプロ野球選手だったジョー・ディマジオと結婚
    ヘンリエッタ賞受賞
1955年 彼女の映画で最大の興行収入を得た『七年目の浮気』でスターに返り咲く
    アクターズ・スタジオでメソッド演技法を学び始める
    フォックスと高待遇での契約を結ぶ
    ディマジオと離婚
1956年 劇作家のアーサー・ミラーと結婚
1957年 精神的に不安定となる。薬の過剰摂取や精神病院で入院することもあった
1959年 主演映画『お熱いのがお好き』でゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞
1961年 遺作『荒馬と女』が公開される
    ミラーと離婚
1962年8月5日 バルビタールの過剰投与により36歳で死亡する

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