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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

ヘレン・アダムス・ケラー
自身も障害を抱えながら、障害者の教育・福祉の発展に尽力した人物
出生国:アメリカ
誕生日:1880年6月27日
命日:1968年6月1日

ヘレン・アダムス・ケラー

世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、
目で見たり手で触れたりすることはできません。
それは、心で感じなければならないのです。

自身も聴覚と視覚の障害を持っていたヘレン・ケラーは、
障害者の教育や福祉に尽力した人物として知られています。

そんなヘレンは、1880年6月27日にアメリカのアラバマ州で生まれました。
名家出身の両親を持ち、裕福な生活を送っていたヘレンでしたが、
一歳半の時に猩紅熱が原因と考えられる高熱を出し、
後遺症により聴力と視力を失ってしまいます。

幼い頃に聴力と視力を失ったせいで「しつけ」をろくに受けられず、
ヘレンは非常にわがままな性格に育ってしまいました。

まともに教育も受けられない娘を案じ、
ヘレンの両親は当時聴覚障害を持つ子供への教育を行っていたグラハム・ベルの元を訪れ、
家庭教師の派遣を依頼します。

そこで派遣されて来たのが、
その後50年に渡りヘレンの良き教師であり友となるアン・サリヴァンでした。

アン自身も弱視の障害を持っていたことがあり、
その経験を生かしてヘレンに「指文字」や「言葉」など、コミュニケーションに必要な術を教えていきます。

その後、ヘレンは9歳の時にホレース・マン聾学校の校長であるサラ・フラーから発声を学び、
14歳で入学したライト・ヒューマソン聾学校でも、引き続き発声法を学んでいきました。

自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。

20歳になるとハーバード大学の前身であるラドクリフ・カレッジに入学し、
在学中に著書『わたしの生涯』を出版します。

ラドクリフ・カレッジを卒業後は文学士の称号を取得し、
著者として活動を続ける一方で アメリカ社会党に入党。
婦人参政権運動や公民権運動など、人道的な活動を行うようになります。

障害者への教育や福祉の発展に尽力するヘレンは、
1937年には社会事業家である 岩橋武夫からの要請を受け、日本を訪問。

ヘレンはアメリカに初めて「秋田犬」を持ち込んだ人物でもあり、
この初来日の時に秋田犬「カミカゼ」をもらい受け、
一緒にアメリカに帰国していることが知られています。

女性の地位向上、障害者への教育と福祉の発展への尽力など、
数々の活動が称えられ、1964年には大統領自由勲章が贈られます。

そしてその4年後の1968年6月1日、
ヘレンは コネチカット州の自宅で息を引き取りました。

日本との関わりが深かったヘレン・ケラーには、死後、日本政府から勲一等瑞宝章が贈られました。

うつむいてはいけない。
いつも頭を高くあげていなさい。
世の中を真っ正面から見つめなさい。

1880年6月27日 アメリカ合衆国のアラバマ州で生まれる
1882年 1歳半の時に高熱を伴う髄膜炎にかかり、聴力と視力を失う
1887年 ヘレンの両親がグラハム・ベルの元を訪れる
3月3日 ヘレンの家庭教師としてアン・サリヴァンが派遣される
1888年5月 パーキンズ盲学校に通学
1890年3月 ホレース・マン聾学校の校長であるサラ・フラーから発声法を学ぶ
1894年 ライト・ヒューマソン聾学校に入学
1896年10月 ケンブリッジ女学院に入学
父アーサーが死去。
1897年12月 教育方針の違いによる衝突のためヘレンはケンブリッジ女学院を退学
1900年10月 ラドクリフ・カレッジに入学
1903年 『わたしの生涯』を出版
1904年 ラドクリフ・カレッジを卒業
文学士の称号を取得
1906年 マサチューセッツ州盲人委員会の委員に就任
1909年 アメリカ社会党に入党
1917年 ニューヨーク市クイーンズ区のフォレスト・ヒルズに転居
1918年 自叙伝を映画化した「救済」に出演
1922年 母ケイトが死去
1927年 『わたしの宗教』を出版
1936年10月20日 アン・サリヴァンが死去
1937年 岩橋武夫の要請により来日
4月16日 新宿御苑で行われた観桜会に出席し、昭和天皇に拝謁する
8月10日 横浜港から船によりアメリカへ帰国
1939年 慈善家によって建てられた家に転居
1946年11月 海外盲人アメリカ協会の代表としてヨーロッパを訪問
その途中、住宅が全焼。原稿や資料、そのほかの所有物のほとんどを失う
1947年10月 建て直された新居に入居
1948年8月 2度目の訪日
1950年 日本で財団法人東日本ヘレン・ケラー財団と財団法人西日本ヘレンケラー財団が設立される
1951年 南部アフリカを訪問
1952年 フランス政府によりレジオン・ド=ヌール勲章が授与される
その後、1957年まで中東、中部アフリカ、北欧、日本を訪問
1955年 アン・サリヴァンの伝記『先生』を出版
3度目の訪日。日本政府から勲三等瑞宝章を授与される
1960年 秘書であるポリー・トンプソン死去
1961年 軽度の脳卒中になる
1964年9月 アメリカ政府から大統領自由勲章が授与される
1968年6月1日 コネチカット州イーストンにある自宅で死去。享年87歳
葬儀はワシントン大聖堂で行われ、遺骨はアン・サリヴァン、ポリー・トンプソンと共に納骨堂に葬られる
死後、日本政府から勲一等瑞宝章が授与される

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