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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

ピエール・ド・クーベルタン
古代オリンピックを復興させ、現在のオリンピックの基礎を築いた創立者
出生国:フランス
誕生日:1863年01月01日
命日:1937年09月02日

ピエール・ド・クーベルタン

自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、
これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである

現代のオリンピック再興者、復興者と呼ばれるピエール・ド・クーベルタン。

「平和と青春の花園である」という名言から分かるように、
クーベルタンはスポーツを通して、世界を平和に導くことを夢みたのです。

クーベルタンとは一体どのような人物で、
なにを想い現代オリンピックを復興させたのでしょうか?
彼の残した名言から紐解いていきましょう。

 

【クーベルタンとはどんな人物?現代オリンピックの生みの親】

近代オリンピックの父であり、数々の名言を残したクーベルタンは
1863年1月1日にフランス、パリで誕生しました。

貴族の家柄である彼は将来軍人、官僚、政治家になることを
期待されていましたが、
英国パブリックスクールの教育に興味を持ちます。

その当時普仏戦争での敗戦により沈んでいたフランスを変えるのは
教育改革だと考え、クーベルタンは教育者としての人生を歩み始めます。

クーベルタンはまず、視察のためイギリスへ渡り、パブリックスクールへ行きました。

そこの学生たちが紳士的にスポーツに取り組む姿に感銘を受け、
スポーツを取り入れた教育改革を行うべきだと確信します。

その後クーベルタンは教育者として世界各地を視察する中で、
歴史書のオリュンピアの祭典の記述に感銘を受けました。

古代オリンピック復活こそスポーツ教育の理想であると考え、
1894年6月のスポーツ競技者連合の会議でオリンピック復興計画を提唱したのです。

これが可決となり国際オリンピック委員会が設立され、
1896年のアテネオリンピックの開催へと繋がります。

その後は1925年まで国際オリンピック委員会会長を務め、
五輪のマークも考案するなどオリンピックの発展に務めました。

そしてその活動の中でオリンピックの信念を表す名言を
数々残していきます。

今私たちがオリンピックを楽しめているのは
彼の教育者としての信念のおかげでもあるわけですね。

オリンピックで最も重要なことは、勝つことではなく参加することである。
同様に、人生において最も重要なことは、勝つことではなく奮励努力することである。
肝要なのは、勝利者になったということではなく健気に戦ったということである。

【クーベルタンの名言から見るオリンピックの理念とは?】

クーベルタンは自身の名言の中に
オリンピックへの想いを残しています。

「オリンピックで最も重要なことは、勝つことではなく参加することである
同様に、人生において最も重要なことは、勝つことではなく奮励努力することである
肝要なのは、勝利者になったということではなく健気に戦ったということである」

有名な名言であり、これこそ彼の作ったオリンピックの意義でもあります。

この言葉、実はクーベルタンが言ったわけではなく、
セントポール大寺院に集まった選手に主教が述べた言葉に感銘を受けた彼が、
英政府主催の晩餐会でこの言葉を引用して、
人生においての努力の大切さをスピーチしたのです。

努力する過程が大切であることをスポーツを通じて学んで欲しい
という願いが込められた基本理念ですね。

そしてクーベルタンはオリンピックにもう一つの目的を持たせています。

「スポーツを通して心身を向上させ、
さらには文化・国籍など様々な差異を超え、
友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、
平和でよりよい世界の実現に貢献する」

このオリンピックイズムをクーベルタンは
「オリンピックは、単なる世界選手権大会ではない
それは平和と青春の花園である」

という名言で表しました。

スポーツを通して人としての大切な精神を学び、
世界中の人と共感し平和を築くこと。
オリンピックにはこんなに大きな意義があるのです。

 

【まとめ】
・ピエール・ド・クーベルタンは現代オリンピックの基礎を作った
・1894年6月のスポーツ競技者連合の会議でオリンピック復興計画を提唱し
 1896年のアテネオリンピックの開催へと繋げた
・クーベルタンはオリンピックをスポーツ教育の理想とした
・1896年から1925年まで国際オリンピック委員会会長を務める
・五輪マークを考案

「平和の祭典」とも言われる現代オリンピックは
クーベルタンのスポーツ教育の信念によって作られたのです。

オリンピックは、単なる世界選手権大会ではない。
それは平和と青春の花園である。

1863年1月1日 フランス、パリ7区で誕生
1894年6月 スポーツ競技者連合の会議でオリンピック復興計画を提唱
1896年 第二代、国際オリンピック委員会会長を務める(~1925年)
1914年6月 IOC創設20周年記念式典で自身が考案した五輪マークを披露
1912年 考案・提唱した近代五種競技がストックホルムオリンピックから採用される
1924年  初代、冬季オリンピック組織委員会会長を務める
1937年9月2日 死去

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