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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

バートランド・ラッセル
アリストテレス以来最大の論理学者の一人と称される哲学者、論理学者、数学者。 1950年にノーベル文学賞を受賞している。
出生国:イギリス
誕生日:1872年05月18日
命日:1970年02月02日

バートランド・ラッセル

浪費するのを楽しんだ時間は、浪費された時間ではない。

幸福論で知られるバートランド・ラッセルは
数学者、哲学者、論理学者、教育者、心理学者であり平和活動家と
様々な分野で活躍しました。

そんなラッセルの生涯についてお伝えします。

また幸福論を著した彼の
ポジティブになれる名言をご紹介していきましょう。

 

【「幸福論」で知られるラッセルの生涯】

幸福論などを著しノーベル文学賞を受賞したラッセル。

彼の名言は今も聞く人の心をつかみます。

哲学者、論理学者、数学者とマルチな才能を発揮した彼は、
1872年5月18日、イギリス、ウェールズのトレレックで
2度もイギリス首相を務めた祖父を持つ
名門貴族の次男として誕生しました。

ラッセルの名付け親は哲学者ジョン・スチュアート・ミルであり、
生涯に渡ってミルの影響を受けたそうです。

貴族としていい教育を受けた彼は
20世紀を代表する知の巨人と呼ばれる
その知性を様々な分野で発揮するようになります。

論理学者、数学者としてはアリストテレス以来の学者と言われ、
ラッセルのパラドックスと言われるはパラドックスを発見します。

そしてこの成功を基にして、全数学を展開するという『数学原理』
を発表する偉業を成し遂げました。

また数学者らしい簡潔な文章と名言が書かれた著書「幸福論」は
現代でも読み継がれています。

その後哲学者、教育者となり、
リベラル派のフリー・スクール運動するなどして
政治運動家も行うようになるのです。

特に有名な彼の政治活動と言えば、
アインシュタインと共同で核廃絶を宣言したことで知られる
「ラッセル=アインシュタイン宣言」があります。

学問、政治活動に邁進したラッセルは晩年も百人委員会を
結成するなど精力的に活動しました。

私生活でも二度の投獄を経験したり、4回結婚をするなど
アクティブに生活した彼は97歳で人生の幕を下ろします。

彼の学問で残した功績は偉大なものであり、
その知性と人間性で語られた名言は
今もなお聞いた人たちの心に響いています。

ラッセルの著書には専門的なものが多いですが、
一般書籍となっている「幸福論」は読みやすくなっていますので、
是非ラッセルの世界観に是非触れてみて下さい。

最も強い希望は、絶望から生まれる。

【一歩前に踏み出す勇気が欲しい時に見てほしい、ラッセルの名言たち】

「三大幸福論」の一つと呼ばれる「幸福論」を
著したラッセルは数多くの名言を残しました。

その中から一歩前に踏み出す勇気が欲しい時に
心に響く名言をいくつか載せていきます。

「幸福の秘訣は、こういうことだ。
あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。
そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、
できるかぎり友好的なものにせよ」

「何かをやれるという最良の証拠は、他人がすでにそれをやり遂げたという事実である」

「常識外れの思想を持つことを恐れてはいけない。
今日の常識のほとんどは、元々常識外れの思想から生まれているのだから」

「それが何であれ、あなたの得意なことが幸福に導いてくれる」

「最も満足すべき目的とは一つの成功から次の成功へと
無限に続いて決して行き詰ることのない目的である。
そして、この点で建設は破壊よりも一段と大きな幸福の源であることがわかるだろう」

「人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、
ますます幸福になるチャンスが多くなり、
また、ますます運命に左右されることが少なくなる。
かりに、一つを失ってももう一つに頼ることができるからである」

あと少し勇気が欲しい時にラッセルに
背中を押してもっているような気分になる言葉の数々ですね。

幸福論で幸福とはなんなのか書いた
ラッセルの心に響く名言をご紹介しました。

 

【まとめ】
・ラッセルは数学者、哲学者、論理学者、教育者、心理学者、平和活動家と
多彩な才能で活躍した
・三大幸福論の一つ「幸福論」を著した
・1950年にノーベル文学賞を受賞
・生涯で4度結婚する
・イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルを祖父に持つ

バートランド・ラッセルは多岐に渡る分野で才能を発揮し、
数学、論理学の分野に大きな功績を残しました。

何事も絶対確実だと思い込んではいけない。

1872年 5月18日 イギリスで誕生
1890年 ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入学する
    ケンブリッジ大学で教鞭をとるようになる
1916年 平和運動、婦人解放運動に熱中しケンブリッジ大学を解任される
1918年 6か月間投獄される
1930年 「幸福論」を発表
1931年 兄フランシスが死去。ラッセル伯位を継承する
1938年 アメリカ合衆国へ移住する
1944年  イギリスに帰国する
1950年  著作群が評価され、ノーベル文学賞を受賞
1955年 7月9日 アルベルト・アインシュタインと核廃絶の「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表
        パグウォッシュ会議の開催に繋がる
1961年  百人委員会を結成する。2度目の投獄をされる
1970年 - 97歳で死去

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