スティーブ・ジョブズ
イノベーションには失敗がつきものだ。
大切なのは、そのことをすぐに認めて、他のイノベーションを成功させるために全力を尽くすこと。
スティーブ・ジョブズは子供の頃から高い知能を持ち、授業中に花火をする、ヘアピンをコンセントにさして感電するなど、エピソードに事欠かない少年時代を送っていたと言われています。
学生時代は、アップル創業のパートナーであるスティーブ・ウォズニアックと共に、電話をハッキングして無料で通話ができる装置「ブルーボックス」を開発し、学生相手にビジネス展開を開始。
しかし、評判になったことにより、銃で脅されブルーボックスを奪われた経験から、ブルーボックスの開発は中止します。
ジョブス本人が「この出来事がなければ、後のアップルを設立することもなかった」と言うほど影響をあたえた出来事でした。
その後、1976年にウォズニアックとロナルド・ウェインと共に「アップル」を設立。
ジョブズが開発を主導した「Macintosh(マッキントッシュ)」は大きな売り上げを果たし、その名声を高めるきっかけとなりました。
しかし、役員との不和や経営難から閑職に追いやられたジョブズは1985年に、自身が創業したアップルを退職することになります。
僕は宇宙をへこませたい。
その後、NeXT社を設立し、世界初のWebサーバとして用いられた「NeXTcube」などを開発。
続いて「ルーカスフィルム」のコンピュータ関連部門を買収し「ピクサー・アニメーション・スタジオ」を設立。
当初は売り上げが良いとは言えなかったが、ディズニーにCGアニメーション映画作成の売り込むという大きな賭けに出ます。
そこから生まれた全編コンピュータ・グラフィックスのアニメ映画『トイ・ストーリー』の公開をきっかけに、ピクサーは大きく成長を遂げていきます。
1996年に自身が設立したNeXT社をアップルに買収させ、ついにジョブズはアップルに非常勤顧問として復帰。
実権を取り戻したジョブズは、経営が傾いていたアップルの立て直しに取り掛かります。
そういった経緯が、今なお世界的ヒット商品である、iPodやiPhoneなど、数多くの商品を生み出したのです。
2003年に膵臓癌と診断され、職務の維持が難しくなり、アップルのCEOを退任したのち、2011年10月5日に死去。
闘病生活中招かれたスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、
多くの人々に感動を与え、共感を呼ぶ名スピーチとして語りつがれています。
何か一つのことを成し遂げた、と思うなら、
次に進め。
安穏としていてはダメだ。
次は何かを見つけるんだ。
1955年2月24日 スティーブ・ジョブス誕生
1961年 モンタ・ロマ小学校に入学
1966年 一年飛び級してクリッテンデン中学に入学
1968年 ホームステッド高校に入学
1972年 リード大学に入学・半年後に中退
1974年2月 アタリに入社
1976年4月1日 ウォズニアック、ウェインと共に「アップルコンピュータ・カンパニー」を設立
1984年1月 現在の「Mac」の前身となる「Macintosh」を発表
1985年 全ての業務を剥奪され、その後アップルを辞任
NeXT社を設立
1986年 「ルーカスフィルム」のコンピューター関連部門を買収し、「ピクサー・アニメーション・スタジオ」を設立。
1991年 ローレン・パウエルと結婚
1995年 「トイ・ストーリー」が大ヒットし、株式を上場
1996年 アップルがNeXT社を買収することで同意
非常勤顧問としてアップルに復帰
1997年 アップルのiCEOに就任
1998年 iMacを発売
2000年 アップルのCEOに就任
2001年 iTunes、iPod、Mac OS Xを発売
2004年 膵臓がんと診断
2005年 スタンフォード大学の卒業式に招かれ「「Stay hungry, stay foolish」のスピーチをする
2007年 iPhoneを発売
2011年 アップルのCEOを辞任
2011年10月5日 スティーブ・ジョブズ死去