一人一人が持っている才能を正しく理解し、
最高のパフォーマンスを発揮する社会を作る

一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

エルヴィス・プレスリー
「世界史上最も売れたソロアーティスト」のトップに輝くミュージシャン。 キングオブロックとも呼ばれる。
出生国:アメリカ
誕生日:1935年01月08日
命日:1977年08月16日

エルヴィス・プレスリー

自分には理解できないからって批判をするな。
君はそいつの立場を経験したこともないんだから。

「キング・オブ・ロックンロール」
そう呼ばれるエルビスプレスリー。

彼はアーティストとしてだけでなく映画俳優としても
世界中で大人気を誇ったスーパースターです。

そんなエルビスプレスリーの人物像と
彼が出演した映画の代表作品をご紹介します。

 

【大ヒット映画で知られるエルビスプレスリーとは?】

アメリカ文化の象徴エルビスプレスリー。

全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げ6億枚以上を誇り、
映画でも主演を務めた彼ですが、
アメリカ文化の象徴と言われる理由はそれだけではありません。

彼は1950年代のアメリカ文化に変革をもたらしたアーティストだったのです。

白人でありながら黒人らしい曲を歌うスターとなったエルビスプレスリーの存在は
ロック界だけでなくアメリカ社会全体にとって革命的な事でした。

彼は白人の若者層にブルースやR&Bといいた黒人音楽を広め
人種の壁を取り払うのに一役買ったのです。

白人である彼が黒人音楽を歌う歌手としてデビューしたのは
少年時代の環境にありました。

貧困の為、13歳の時に住み始めたテネシー州メンフィスで
近くにある当時の黒人文化の最先端ビール・ストリートに
入り浸り、そこで黒人音楽にのめり込みます。

そして高校卒業後トラックの運転手として働いていた彼は、
ある日メンフィスのサン・スタジオで
母親のために誕生日のお祝いとして歌を録音しました。

偶然スタジオの主催者サム・フィリップスの耳にその曲が入ったことが、
「キング・オブ・ロックンロール」誕生のきっかけとなったのです。

デビューすると彼の曲は
アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者を熱狂させ
一躍スターとなります。

その後その爆発的人気から映画出演をし、
映画・劇中の曲ともに大ヒットとなり俳優としても成功しました。

大活躍の一方でマネージャー、トム・パーカー大佐の指示とおりに仕事を続け、
ストレスからくる「過食症」に陥っていました。

1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅で
処方薬の極端な誤用による不整脈で42歳の若さでこの世を去ります。

ロック界に大きな変革をもたらしたエルビスプレスリー。

彼の曲や映画は現代でも世界中の多くのファンの心をくぎ付けにしています。

物事がうまくいかないときには、それと距離を置くべきだ。

【エルビスプレスリーを代表する3つの映画】

爆発的人気歌手となったエルビスプレスリーには
映画のオファーが届き、32作もの映画に主演で出演しました。

そんなエルビスプレスリー映画の代表作を3つご紹介しましょう。

「ブルー・ハワイ」
1961年に公開の映画で、
帰還兵のプレスリーが、ガールフレンドのマイリが働く旅行代理店で
ツアーガイドとしてハワイへ行くラブコメディです。

彼が劇中着ていたアロハシャツが普段着として広く浸透しました。

またこの作品をモチーフにしたオリジナルカクテル
「ブルーハワイカクテル」が誕生します。

挿入歌のアルバムはミリオン・セラーを記録し、
大ヒットを起こしたエルビスプレスリーの代表作です。

「監獄ロック」
1957年公開のミュージカル映画です。

喧嘩で殺人を犯したプレスリーが服役中に
ギターと出会いロックスターになるという
彼の伝記のような作品です。

歌と踊りの場面ではまさに
ロックンローラー、エルビスプレスリーがご覧いただけます。

劇中で使用された曲は6週連続全米チャート1位となり、
プレスリーの代表曲にもなりました。

「ラスベガス万才」
1963年公開となったエルビスプレスリー兵役後の
ミュージカル映画です。

プレスリー演じる貧乏自動車レーサーが、
レースの勝利と恋を賭けて奮闘するという
夢、恋、ライバル、歌、踊りが詰まった青春映画です。

ヒロインのアン・マーグレットととの歌、踊りが
みどころのエネルギーをもらえる映画です。

映画のみならず映画挿入歌を収めたアルバムが大ヒットし、
当時のショウビジネスの世界に新たなビジネスの形態を作り出した
エルビスプレスリーの作品ぜひご覧になってみて下さい。

 

【まとめ】
・エルビスプレスリーはアメリカのミュージシャン、映画俳優
・世界史上最も売れたソロアーティスト
・キング・オブ・ロックンロールと呼ばれる
・自身主演の映画が32作もあり、映画俳優としても活躍した

ロック界に変革をもたらしたエルビスプレスリーは
キング・オブ・ロックンロールと呼ばれ現代でも多くのファンを虜にしているのです。

どこへ行きたいのかわからなければ、目的地に着いても気づかない。

1935年1月8日 アメリカ合衆国ミシシッピ州テュペロで誕生
1944年  キリスト教プロテスタントの洗礼を受ける
1946年 誕生日に母からギターをもらう
    それから自宅の地下洗濯部屋で練習するようになり音楽に熱中する
1948年 テネシー州メンフィスへと転居
1949年 下宿先からロウダーデール・コート公営住宅に引っ越す
    黒人の音楽を聴いて育ち、ゴスペルのショーをよく見に行く
    高校卒業後、精密金型会社で働く
    クラウン・エレクトリック社に転職。トラック運転手として働く
1953年 最初の両面デモ・アセテート盤を録音
1954年6月 サン・レコードの創業者サム・フィリップスに才能を買われ、
      「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始める
    黒人のように歌うことができる白人歌手として評判となる
1955年8月18日 サン・スタジオとの関係を終了する
   11月21日 RCAビクターと契約する
1956年1月28日 「CBS-TVトミー・ドーシー・ステージ・ショウ」でTVに初出演
         若者たちがプレスリーのファンとなる
    4月 1月27日に発売した第6弾シングル “Heartbreak Hotel / I Was the One”がチャート1位となる
   12月4日 『ミリオン・ダラー・カルテット』と呼ばれる伝説のセッションをする
   『ビルボード』誌で100位以内にランクインした曲数が史上最高との記事が出る
    年末の『ウォール・ストリート・ジャーナル』一面で、
    プレスリー関連商品が2千2百万ドルを売り上げ、レコード売り上げがトップであることを報じる
1958年1月20日 アメリカ陸軍への徴兵通知を受け、西ドイツにあるアメリカ陸軍基地で勤務する
   8月14日 母グラディスが死去
1960年3月5日 満期除隊する
       活動の拠点をハリウッドに移し、1969年までに27本もの映画の製作が行われる
1963年 音楽活動が1968年ごろまで不調となる
1967年5月1日 プリシラ・アン・ボーリューと結婚
1968年2月1日 娘リサ・マリー・プレスリーが誕生
1969年 ネバダ州のラスベガスを中心にショーを行う
1973年10月9日 プリシラ・アン・ボーリューと離婚する
1970年代半 自身が起案し出演する空手家が主人公の映画の撮影を行う
      体調不良で空手をできなくなった事などを理由に映画は完成しなかった
1972年 「バーニング・ラヴ」が大ヒットとなる
1977年8月16日 処方薬の極端な誤用による不整脈で、42歳の若さで亡くなる

アクシスプロファイル簡易診断で、
あなたのスピリットプロファイルを明らかにしてみましょう。
無料で受講