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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

ウォーレン・エドワード・バフェット
投資家、経営者、資産家。2007年には世界長者番付で一位になった。
出生国:アメリカ
誕生日:1930年8月30日

ウォーレン・エドワード・バフェット

価格はあなたが払うもの。
価値はあなたが得るもの。

世界長者番付で常にトップ5に輝き続け、「投資の神様」とも呼ばれる人物。

それが、ウォーレン・バフェットです。

世界的な投資家として知られるバフェットについては、
投資に詳しくない方でも、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

今や世界を代表する大富豪として知られるバフェットは、
幼い頃から早くもビジネスを開始していました。

バフェットが人生で始めて投資を経験したのが、なんとまだ11歳の頃でした。

その時の経験により、投資に興味をもったバフェットは、
コロンビア大学のビジネススクールに進学し、本格的に投資についての勉強を開始。

そこで、生涯にわたり恩師となるベンジャミン・グレアムから投資について学んでいきました。
当時著名な証券アナリストであったグレアムは、バフェットの優秀さに目をかけており、

バフェットがメインとしていたのが、このパートナーシップ(金銭・役務などを出資して共同して事業を営む関係)の運営であり、
彼は生涯に渡りいくつものパートナーシップを創設することで、大きな利益を上げていきました。

誰かが日陰に座れているのは、誰かがずっと前にそこに木を植えたからだよ。

しかし、その投資人生の全てが順調だったわけではありません。

バフェットの人生は、常に「失敗」と「学び」の連続だったと言われています。

その中でも有名な、2つの失敗をご紹介します。

一つ目は、現在バフェットが筆頭株主を務める「バークシャー・ハサウェイ」の経営です。

繊維業であるバークシャー・ハサウェイ社の経営権を獲得したバフェットは、
新社長を登用することで経営に介入。

バークシャー・ハサウェイ社は繊維業以外では利益を上げたものの、
本来の繊維業の経営は悪化。

結果として1000万ドルの赤字を出してしまい、
工場を閉鎖することとなってしまいました。

二つ目の失敗は、「テクノロジー株」です。

バフェットは既存事業を好み、
テクノロジーを代表する新規事業の株にはほとんど手を出していませんでした。

しかし、時代が変わるにつれて、アマゾンやアップルなどのテクノロジー株の株価は急上昇。

バフェットはテクノロジー株の波に乗り遅れてしまったのです。

当然、バフェットはこれらの失敗にくじけることはなく、
そこからさらなる教訓を得ていきました。

バークシャー・ハサウェイの経験からは
「買収はしても経営陣には手を加えないスタイル」を確立し。

テクノロジー株の経験からは、
「これまでアマゾンに投資しなかった自分は馬鹿だった」と考え、テクノロジー株も購入するようになったのです。

 

多くの失敗を経験しながらも、そこから新たな教訓を得てきたウォーレン・バフェット。

一度の失敗であきらめるのではなく、失敗を学びに変えるその姿勢があったからこそ、
800億ドルを超える純資産を形成できたとも言えるでしょう。

そんなバフェットには、
文民に送られる中で最高位の勲章である「大統領自由勲章」が贈られています。

リスクはあなたが何をやっているか理解していない時に起こる。

1930年8月30日 ネブラスカ州オマハで誕生
1947年 ペンシルベニア大学ウォートン・スクールファイナンス学科に入学。
その後中退しネブラスカ大学リンカーン校に編入
1951年 大学院で修士号を取得
1952年 スーザン・トンプソンと結婚
1953年 長女スーザンが誕生
1954年 長男ハワードが誕生
1954年 資産運用会社グレアム・ニューマンに入社
1956年 代表のベンジャミン・グレアムの引退により、グレアム・ニューマンが解散
1958年 オハマの郊外に一軒家を購入
1961年 パートナーシップの資産が数百万ドルを突破
1962年 パートナーシップの資産が720万ドルになる
1963年 バークシャー・ハサウェイの筆頭株主となる
1965年 ウォルト・ディズニーとの出会いがきっかけで、ウォルト・ディズニー株の購入を始める
バークシャー・ハサウェイの経営権を獲得。新社長にケン・チェイスを指名
1967年 パートナーシップの資産が6500万ドルになる
1969年 パートナーシップを解散する
1970年 バークシャー・ハサウェイの会長となる
1973年 バークシャー・ハサウェイがワシントン・ポスト株の購入を始める
1974年 バークシャー・ハサウェイの株が下落し、バフェットの純資産が半減する
1985年 経営不振を理由に、バークシャーの繊維部門をあきらめ、工場を閉鎖
Scott & Fetzerを買収
1986年 フォーブス誌によるアメリカの長者番付で5位に選ばれる。以降、毎年10位以内に入選するようになる
1987年 証券会社のソロモン・ブラザーズのCEOであるジョン・グッドフレンドの依頼により、7億ドルの投資。
バークシャー・ハサウェイの副会長であるマンガーと共に、ソロモンの取締役に就任
1989年 バークシャーの株価が4,800ドルから、8,000ドル以上に上昇
1991年 ソロモンの証券トレーダーによる複数の不正が発覚。
CEO及び副会長がその事実を隠蔽していたことが明かされ、大スキャンダルとなる
結果とし、バフェットがソロモンの暫定CEOに就任
2004年 妻、スーザンが死去
2006年6月 資産の85%に当たる約374億ドルを、5つのフィランソロピーに寄付することを発表
2007年 資産が620億ドルとなったことにより、世界長者番付で初めて一位になる
2010年9月29日 ビル・ゲイツと共に中国を訪れ、電気自動車「M6」発売のセレモニーに出席
ビル・ゲイツと共に寄付推奨活動を開始する
2011年3月21日 日本へ初めて訪れる
2012年4月17日 初期の前立腺癌であることを公表する
2020年8月31日 日本の大手総合商社の5%の株を購入

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