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一般社団法人綜合ヒューマンスキル開発協会

アーネスト・ラザフォード
物理学者、化学者。実験物理学の大家。 原子核の発見、α線とβ線の発見などの功績から『原子物理学の父』と呼ばれる。
出生国:イギリス
誕生日:1871年08月30日
命日:1937年10月19日

アーネスト・ラザフォード

物理の原理をバーのウェイトレスに説明できないのであれば、
ウェイトレスではなく、その原理に問題があるのだ。

原子物理学の父アーネスト・ラザフォード。

ノーベル化学賞を受賞した偉大な研究者である彼の人物像に迫ります。

そしてなぜアーネスト・ラザフォードが
原子物理学の父と呼ばれるのか。

その理由についてもお伝えします。

 

【アーネスト・ラザフォードとはどんな人物?】

実験物理学の大家と称されるアーネスト・ラザフォード。

原子番号104の元素に自身の名「ラザホージウム」がついた
偉大な物理学者である彼は一体どんな人物だったのでしょうか。

ニュージーランドの農家の家に生まれたアーネスト・ラザフォードは
奨学金を受け大学へ進学し、物理学を学びました。

卒業後、ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所研究員となり、
弱冠37歳でノーベル化学賞を受賞するほどの
優秀な物理学者となります。

また自身の研究だけでなく若い研究員の育成も積極的に行う
アーネスト・ラザフォードは慈愛心に満ちた人物だったそうです。

また長身で、風格があり、夏のビーチでもジャケットを脱がない
ような英国紳士だったといいます。

研究者としての成功、後進の育成に取り組んだ彼には
ナイトの勲位を授与や、
ヴィルヘルム・エクスナー・メダル受賞などの
名誉が与えられたのです。

物理学の未来に大きく貢献したアーネスト・ラザフォードは
66歳で絞扼性ヘルニアの為、死去しました。

死後、彼の肖像はニュージーランド100ドル紙幣で使用されたり、
国際原子力機関などの団体が彼の原子模型の図をロゴマークにするなど、
「原子物理学の父」として後世に名を残しています。

あらゆる物理は、ありえないことか、当たり前かの二つに一つだ。
それを理解するまではありえないことだが、いったん理解すれば当たり前になる。

【原子物理学の父と呼ばれたアーネスト・ラザフォード】

研究者として多くの実績を残したアーネスト・ラザフォードですが、
「父」とは研究者として優れているだけでは言われないでしょう。

彼が「原子物理学の父」と呼ばれるのは3つの理由があります。

1.現代の物理学の基本概念を作った
ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所研究員として
α線とβ線の発見
ラザフォード散乱による原子核の発見、
原子核の人工変換などいくつもの成功を遂げました。

1908年には「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」で
ノーベル化学賞を受賞しています。

後世の物理学に役立つ基本概念を作った。

"それが父と言われる理由のひとつです。

"

2.後進を育てた
アーネスト・ラザフォードは若い研究者を育てることにも熱心でした。

1898年にはマギル大学物理学講座教授に就任、
"1907年には現・マンチェスター大学物理学講座教授に就任しています。
"

アーネスト・ラザフォードは若い研究者たちを「ボーイズ」と呼び、
研究予算や実験機器の整備のため奔走していたそうです。

そうした彼の人柄が慕われ各国の逸材が集まりました。

アーネスト・ラザフォードは
多数のノーベル賞受賞者を輩出する優れた指導者でもあったのです。

研究者、指導者としての功績や
彼自身の人柄も相まって「原子物理学の父」と
呼ばれています。

 

【まとめ】
・アーネスト・ラザフォードはイギリスで活躍した物理学者、化学者
・原子物理学の父と呼ばれる
・1908年にノーベル化学賞を受賞
・彼の名前から 原子番号104の元素がラザホージウム と名づけられる
・後進の育成に積極的にあたった

アーネスト・ラザフォードは後世に物理学の基本概念と、
自身で育成した優秀な研究者たちを残した
原子物理学の父と呼ばれるにふさわしい研究者です。

単純さを信条として、いつも質素な人間でいる。

1871年 8月30日 ニュージーランド南島北端のネルソン近くのブライトウォーターで誕生
1882年  ペロラス・サウンドに引越す
    中学校へ入学。学校で後に妻となるメアリ・ニュートンと出会う
1887年 奨学金審査に合格。名門ネルソン・カレッジに入学
1889年 ニュージーランド大学カンタベリー・カレッジ(現在のカンタベリー大学)に入学
    電波検知器を作る
1892年  鉄の磁化に関する研究で Bachelor of Artsの学位を取得する
1893年 数学と数理物理学を専攻し Master of Artsの学位を取得する
    クライストチャーチ・ボーイズ・ハイスクールの臨時教師に採用される
    正教員審査に3度不合格となり教職を諦める
1894年 ニュージーランド大学カンタベリー・カレッジへ復学
    地質学と物理学を専攻しBachelor of Scienceの学位を取得する
    イギリスの万博記念奨学金審査を受験し繰り上げ合格する
1895年 ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所研究員となる
    気体の電気伝導の研究を始める
1897年 ケンブリッジ大学から学士号を授与される
1898年  ウランから二種類の放射線(α線とβ線)が出ていることを発見する
    マギル大学物理学講座教授に就任
1900年 「透過性が高く電荷を持たない放射線」が電磁波であることを示す
    ソディと共同でラジウム、トリウム、アクチニウムの研究を始める
    後に岩石の年代測定に用いられるようになる「半減期」の概念を作る
   6月28日 ニュージーランドに一時帰国しメアリ・ニュートンと結婚
        モントリオールで新婚生活を始める
   カナダ王立協会フェローに推挙される
   ニュージーランド大学よりPh.D.を取得する
1901年  長女エイリーンが誕生する
1903年  ロンドン王立協会会員に推挙される
    「透過性が高く電荷を持たない放射線」をγ線と名付ける
1907年 マンチェスター・ヴィクトリア大学(現・マンチェスター大学)の物理学講座教授に就任
1908年 「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」でノーベル化学賞を受賞する
1911年 ラザフォードの原子模型を発表する
1914年 ジョージ5世よりナイトの勲位を授与され「サー」の称号を得る
1919年  ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ実験物理学講座教授 兼 キャヴェンディッシュ研究所長に就任
    原子核の人工変換に成功する
1920年 中性子・重水素の存在を予言する
1926年  ロンドン王立協会長に就任
1930年 長女エイリーンが死去する
1931年 英国物理学会長に就任
1936年  ヴィルヘルム・エクスナー・メダル受賞する
1937年  絞扼性ヘルニアにより66歳で死去
1997年   原子番号104の元素がラザホージウムと名づけられる

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